過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

歌う前に息を吸ったのを見て感動した

「歌う前に息を吸ったのを見て感動した。悲しいときには悲しい息が入って、その悲しい歌が始まる。白い息を吸って、声が出た瞬間から表情が始まるのではない」
声楽家の池田直樹さんの語ることに、なるほどと合点がいった。
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なにかを表出するときには、いきなり入るのではなく、その少し前からその世界に入っている。
行為の前の無行為、あるいはイマジネーションにこそ、ポイントがあるんだろうな、と。
『声の力 歌・語り・子ども』(河合隼雄阪田寛夫谷川俊太郎、池田直樹共著.岩波書店)から、池田直樹さんの語りを、以下、抽出してみた。
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文化庁の派遣でミュンヘンで、ハンス・ホッターという世界的なバス歌手に一年間ついた。レッスンを受けてみると、とにかく四小節も歌わせてくれない。
ワーグナーの「マイスタージンガー」の中にある「なんとニワトコの花の香りが甘く漂っていることか」というハンス・ザックスのアリアを歌っていたとき、私が歌うと、ふた言、み言で、もう怒る。
なにがいけないの、どこが?ちゃんと楽譜どおり歌ってるじゃない、と思うんですが、もう一回、もう一回、と言って、ちっともなにがいけないか教えてくれない。
ほんとに困っていたら、歌って聴かせてくれた。そのとき、ホッターが歌ったのを聴いて感動したんじゃなくて、歌う前に息を吸ったのを見て感動した。
歌を歌う前のその瞬間、ほんとにホッターがニワトコの花の香りを嗅いだように見えた。歌う前に白い息を吸わない。
つまり怒る歌を歌うときには必ずその前に怒る息が入って歌う。笑うときには笑う息が入って歌い出す。悲しいときには悲しい息が入って、その悲しい歌が始まる。
白い息を吸って、声が出た瞬間から表情が始まるのではないというのを知った。それはもうほんとに衝撃的だった。