過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

〈フォルテ〉と〈ピアノ〉 そこに至る大事な内容は小さな声で歌われている

「〈フォルテ〉は、感情が高まり表現が大きくなる部分で、結果としての頂点であり、そこに至る大事な内容は〈ピアノ〉、小さな声で歌われている。ここは大事ですよ!と声をひそめて歌いかける部分。
 
小さな声で歌うからといって、感情のテンションを下げてしまったのでは、〈ピアノ〉の表現にならない。〈フォルテ〉の時より、さらに強い表現意欲を持ち、積極的に内容を伝えようという気持で、小さな声で歌う。」(声楽家:池田直樹)
 
〈フォルテ〉と〈ピアノ〉の本質について、はじめて知った。
たとえば、ほんとうに怒っている人は、大声で怒鳴らない。静かに怒る。あるは、声に出さない。それはとても怖いし、ちゃんと伝わる。以下、引用する。
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元気溢れる子どもたちが部屋いっぱい、百五十人以上!四十分ほど演奏するのですが、知っている歌があると「知ってる!知ってる!」、何か質問すると「はい!はい!」と、何かを話すたびに大騒ぎになる子どもたちに演奏を聞いて貰うのは大変でした。
 
ある時、小さな声で囁くように喋り始めたら、「シーン......」と静かになったのです。シメタこれだ!と。それからは、小さな声を交えつつ上手に幼稚園生と付き合えるようになりました。
 
そう、この小さな声というのは、演奏の技術としても重要なことなのです。楽譜には〈フォルテ(大きな音で)〉、〈ピアノ(小さな音で)〉、という演奏表現が書いてあり、その記号があるところは、大きな声で歌ったり、小さな声で歌ったりしなければならないのです。
 
一見、大きな声で歌う〈フォルテ〉のところに、その歌の重要な部分があるようにも思えますが、実はそうではなくて、〈フォルテ〉は、感情が高まり表現が大きくなる部分で、結果としての頂点であり、そこに至る大事な内容は〈ピアノ〉、小さな声で歌われているのです。
 
つまり、ここは大事ですよ!と声をひそめて歌いかける部分なのです。ですから、小さな声で歌うからといって、感情のテンションを下げてしまったのでは、〈ピアノ〉の表現にならないわけです。
 
〈フォルテ〉の時より、さらに強い表現意欲を持ち、積極的に内容を伝えようという気持で、小さな声で歌う。
 
これが〈ピアノ〉で演奏するということなのです。そういえば、生活のなかでも、大事なことを大きな声で喋っている人はいません。人間の自然な心理なのでしょう。
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〜『声の力 歌・語り・子ども』(河合隼雄阪田寛夫谷川俊太郎、池田直樹共著.岩波書店)から、