過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

今の現実の苦しみがあるとしても、時間がたてば、未来には、いまの苦しみはない

そこにどっぷり浸っていると、抜け出せない現実の苦しみってものが起こる。たとい抜け出しても、また次の苦しみがずっと続くような気がしてくる。

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10年前、20年前、30年前を振り返ると、たいへんに苦しい時期もあったような気もする。

その時は、「もう、だめだ。どうしようもない」と思っていたものだ。しかし、過ぎてしまえば、その時の苦しみは、もはや、いまここには無い。

「なあんだ、あんなことに悩んでいたのか」。今となっては、そう思えることはたくさんある。すべては過ぎていくってことだ。

今の現実の苦しみがあるとしても、時間がたてば、未来には、いまの苦しみはない。苦しいといっても、今だけの現実で苦しんでいるわけだ。やがて、なんとかなるものだ、といえるか。

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さらに、現実の苦しみそのものに直面する道がある。苦しみをリアルに体感し味わっていく。それが真に可能であれば、そこには苦しみがないのかもしれない。

苦しみという中身には、いまの瞬間の苦しみというよりも、「これから起きる不安、恐怖」というものが大きいと思う。

今この瞬間に生きることができれば、苦しみは超えていることができるのだろう。真にこの瞬間瞬間に生きることができれば、すでに解脱の道を歩んでいる。

しかし、これは簡単ではない。ほんの瞬間にそれが起こることもある。けれども、やはり未来を心配し不安に思う。思いの苦しみの中に、自分を没入してしまう。それがいまの自分の生き方である。