過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

リズムにさえうまく乗せれば、見たこと、感じたこと、書こうとしていることがうまく文章になっていく

「自分でつくったリズムが体の中にある。そのリズムにさえうまく乗せれば、見たこと、感じたこと、書こうとしていることがうまく文章になっていく。

そのように司馬遼太郎は語っている。

司馬遼太郎の文章はわかりやすい、読みやすい、心に伝わりやすい。巨視的にものの見方が得られる。以下は、講演録から池谷が適当にピックアップした。

文章を書くことが難しいかと人に聞かれれば、こう答えます。「初めは難しかったが、いまはちっとも難しくない。文章にはリズムというものがあるのだ」。

体の中に何か楽器のようなものがあり、リズムがあり、文章はそれに乗って生まれるものらしい。三日も遊んでいると、体の中にあるリズムが消えてしまっています。三日も文章を書かずに旅行ばかりして遊んでいると、四日目に帰ってきて原稿を書く場合、脂汗が流れるほど四苦八苦します。

ところが文章を毎日書いていると、そういうことはありません。自分でつくったリズムが体の中にあるんですね。そのリズムにさえうまく乗せれば、私の見たこと、感じたこと、書こうとしていることがうまく文章になっていく。(司馬遼太郎全講演1 法然親鸞

なるほど体内リズム。それが脈動していると文章がらくらくと作られていく。
ということで、ぼくは毎日、文章を作って発信しようとしている。どんなに疲れて眠くても酒飲みが毎日、晩酌するように。書くことで思考が整理され、発見があるわけだし。

ただ、書くことで、あたかも一仕事したような気になってしまう。そこが作文の魅力と魔力。作文もたいせつだが、暮らしの仕事・用事・雑事がたくさんある。それを次々とこなしていかなければ、しまいには立ちゆかなくなるわけで。