過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

現実的で具体的な「目標」あるいは「ターゲット」

人生の目的は「幸せになること」。

すこし具体的に言うと、「好きなことができて、満足があって、しかも人の役に立つ」。「他人に依存しないで、自分のペースでゆうゆうと暮らす」。「好きなことを言って、行動し、人の迷惑にならないで、みんなに喜ばれる」。

……そんなことになるだろうか。しかし、具体的なものではない。ある種の境地、レベルのありよう。

なので、「幸せになるぞー」「好きなことをするぞー」「ゆうゆうと暮らすぞー」と願たり強く念じても、生き方や暮らしに、なんら変化はない。

どうしてか。そういう「目的」というのは、理念的で抽象的。達成したかどうかというのが、わかりにくい。あいまい。そこに具体的な実践が伴わない。

目的を達成するために、「何を行うか」。それがたいせつになる。

日々の暮らしで大切なのは、現実的で具体的な「目標」あるいは「ターゲット」だろう。いつまでに、なにをやる。それができたか、できなかったのか。達成、未達成がはっきりわかる。

いま「目標」「ターゲット」をこなしていくことに集中しようとしている。これをやって、あれをやって、これを動かして、この人にこれを伝えて……と。

山のようにある。ありすぎて困る。けれども、一つ一つ区切って、はい達成、はいできた、はいできなかったと、仕分けていく。未達成の山になるけれど。

こうした「目標」「ターゲット」を支えるものは、「目的」であるわけだ。目的が自動的に「目標」「ターゲット」を作りだす。

その目的が、ほんらいの自分のありようと乖離していると、これが苦労するということになる。で、やっぱり、いま苦労しているわけだ。