スリランカの上座仏教の長老に、死の間近にした方への見舞いについて、アドバイスを受けたことがある。こんな話であった。
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深刻で、さもたいへんそうな雰囲気で見舞ったりしないほうがいいんです。
いつもの友人として、いつもの付き合いの時のような感じで話しかければいいです。いくら死が近くて寝ていても、本人にはちゃんと誰が来たのかわかるんです。
たとえば、こないだ、こんなことがあってね、こんなだったよ。そんな話があってね、笑っちゃってね……と、そんな普通の話をすればいいんです。相手には、ちゃんと届いていますよ。
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世の中、深刻な事態に遭遇することがある。そんなときでも、大げさにしないで、あたりまえのように普通に接する。たしかに、それがいちばんたいせつ。ま、これいちばん難しいことだけどね。
その友人への見舞いは、アドバイスのように、自然に接することにしたのだった。もう体は動かない。けれども、ちゃんとぼくのことは分かっていて、話も伝わっているようであった。聴覚は最後まで残ると聞いたことがあるが、体が動かなくても声は伝わつているようであつた。見舞ってから、三日後に亡くなった。