過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分でないとできないこと。そこに集中していかなくちゃ

あなたは忙しいのは似合わない。のんびりしているのがいい。そう妻がいう。いまおもうと、東京暮らしのときは、かなりのんびりしていた。ひとり暮らしだったしね。

都会を離れて山里暮らしを思いたったのは、このまま都会暮らしで人生を終えたらいかんだろう、という思いがあった。そして、生活コストを安く抑えようというのが一つ。たかい家賃を払い続けるのが馬鹿らしかった。

山里に暮せば、さらにのんびりできるだろう。豊かな自然の中で、きっと内から湧き出てくる創造性があるにちがいない。ゆったり絵を描いたり執筆したり、木工したり、そんな暮らしをしようと思った。まあ、ソローのような暮らしにあこがれたわけだ。

しかし実のところ、現実はそうはならない。山里暮らしのためには、家の補修やら草刈りやら、慣れないことが次々とある。なにしろ1700坪もあると土地だった。そこがひとつの失敗。小さいところがよかったんだ。

いきなりパラシュートで落下するように、見ず知らずに土地に住むのだから、地元とのつきあいも、なかなかストレスでもあった。

けれども、もとより人との出会いやネットワーク作りと企画が好きってこともあり、次々とイベントを企画してみた。ひとつかたちにすれば、また次の企画がうかぶ。そして、さらに次の企画ということになる。NPO法人まで立ち上げて、定住促進事業まで行うようになった。さらには、神社と寺のネットワーク作りまで。そんなことになっていくと、そりゃあいそがしい。

さらには、昨年から本格的に田んぼや畑まで、はじめた。田んぼつくりはおもしろい、おもしろい。ただ、農作業となると、時間は待ったなしで、労力をとられる。ド素人ではじめたので、わからないことだらけ。段取りにもエネルギーがかかる。

さらには、予想だにしなかった子どもまで授かってびっくり。相棒かつ戦友のような妻は、ほとんど育児にかかりきりと。経理とか決算とか、事務処理とか、片付けとか、システム作りとか、そういう基盤が脆弱になった。

中途半端にほうっておいていることが、たくさん、山ほどある。そのストレスが大きい。虫歯とおんなじで放置していると、ますます深刻になる。

時間にも体力にも限界がある。年もとってきている。人生、ながくない。ほんとうにやりたいこと、ほんとうに必要とされていること、自分でないとできないこと。そこに集中していかなくちゃと思う。