過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「わからない」が、列車のレールになる

文章を書くのは楽しい。なにかひとつの建築物をつくるようなもの。こんなテーマで、デザインはこうで、土台はこんなふう、仕上げは……と。ひとつの遊びのようなもの▲コメントをもらうと、いろいろと気づくことが多い。やりとりがすすんで、また楽しい。

そして、文章を書くことの楽しみのひとつは、書くことで不明確なことがみえてくる。発見があること▲わかっていたつもりが、わかっていなかった。脆弱な知識だった。安易な考えだった。そういうことが、書くことであらわになってくる。

だから、学びのために書く。わかってないから書く。なんだかよくわからない。そのことをテコにして文章を書くという道がある▲じゃあ、わかったら安心か、というとそうでもない。つまらない。また次の「わからない」が湧いてくる。そうして「わからない」が生き方の行動原理になる▲「わからない」が、列車のレールになる。しかし行き先もわからない。風景は変わる変わる。それを楽しむ、と。