過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

どういう子育てをするのか、自らの生き方が問われてくる

むかしは子どもがたくさんいた。ぼくの親たちの世代は、五人きょうだい、七人きょうだいなどめずらしくない。「産めよ殖やせよ」という国策が背景にあったことがひとつ▲子どもにお金はそんなにかからなかった、ということもある。中卒で働くのも普通だったり、大学に行く人は稀だった。いまは子供の教育にお金がかかりすぎることが、出生率低下の要因のひとつ。

かつて子どもは貴重な働き手だった。農作業、山仕事、家事、子守と、かいがいしく働いた。丁稚奉公などに行く人もいたろう。だから、子どもをたくさんつくることは、家計の負担にならなかった▲海外に目を向けると、中国の山間部では、働き手に子どもがほしいと誘拐まですることもあるらしい。インドやネパールを旅すると、子どもがたくさんいる。わらわらと寄ってくる。そうして、かれらはよく働く。

靴を磨きましょう、新聞いらない?観光案内するよ、シルクのいい店を案内するよ……歩いていると、次々と交渉してくる。みんなまだ小学生くらいの子どもたちだ▲ガンジス川を観光していたとき、6つくらいの女の子が、ひとりでボートを漕いできて、供養のための花を買えと迫ってきたことがある。電車の中で、盲目の母の手をとって歩いてきて、どうかお布施を、とすがりついてきた女の子もいた。みんな驚嘆するほどに逞しい▲いっぽう日本は塾通いにテレビゲーム、個室。家事なんかしない。こましゃくれて過保護でひ弱だ。このままじゃ日本はダメになる。……評論家はそう書いておしまい▲ところがぼくはこれから子育てをしなくちゃいけないので、どういう子育てをするのか、自らの生き方が問われてくることになる。