過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

京丸の伝説

先日、いまや数世帯のみという石切の集落を訪ねたとき、村人と思って声をかけたのが、町から来て京丸山に行く道を探していた方で、曽布川さんという▲聞けば、この方の曽祖父が、曽布川藤次郎という宮大工の棟梁で、明治時代に王子製紙の工場を建設したという。有名な彫物師でもあり、水窪の山住神社の紫宸殿の彫り物を手がけている(下の写真)。

その曽布藤次郎氏が嫁にもらったのが、京丸の藤原家からだという。それで京丸を訪ねたいという▲しかし、京丸はもう誰も住んでいない。藤原本家の建物だけが残っている。その子孫は、いまは気田の町に出て家を構えている。それで、曽布川さんに藤原眞さんを紹介したのだった(左が藤原さん、右が曽布川さん)。

京丸は、いろいろな伝説がある。たとえば、遠州七不思議のひとつ「京丸ボタン」。六十年に一度、カラカサほどの大きさの白い巨大なボタンが、3段になって咲くと言われる▲また、平家の落人伝説。江戸中期の古文書、「遠江古跡図絵」には「平家の落人、源平の乱を避け、京丸にきたり」と書かれている。

また、後醍醐天皇首塚があるだとか、その孫の尹良親王(ただよし)が落ち延びて身を隠したとか。藤原家はその菩提を弔うために、京丸に居を構えたという言い伝えがある▲それで、代々、藤原本家の当主だけが、正月になると、親王の菩提をとむらうために密かに墓に詣でると言われてきた▲そのあたりも含めて、ぼくは京丸という土地には、大いに感心があるので、いちどみんなで連れていっていただくことを藤原眞さんにお願いしたのだった。