過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

先案じをしないでやってみること

いろいろなことを企画するのが好きだ。しかし、実行する段階でいろいろ躊躇がある。ちゃんと人が来てくれるかなあ、喜んでもらえるかなあ、ヘマしないかなあ、と▲あるとき親しい坊さんからアドバイスをもらった。どうせ完璧なかたちでできるわけがないので、まずはやってみること。すこしずつ、変えていけばいい。お客さんの反応と反響をみて、いろいろと工夫していけばいい、と▲とにかくあれこれ考えると動きがついてこない。ノリと勢いでやってしまったほうがいい。たとい失敗しても、そこからまた改善していけばいい。まあ、そんなスタイルであれやこれやと企画してきた。

はじめはシタールの生演奏を聞きながら踊る、瞑想するという企画だった。30人くらい参加してくれて、とても好評だった。じゃあ次は、アフリカンドラムで踊ろうか、と。こちらも好評で参加者はもっと増えた▲じゃあ次は、マリンバカリンバで沖縄音階で踊るというのはどうだろう。その次は、インドのバカヴァットギータというお経で踊ろうか。……などと、つぎつぎと広がっていった▲やがて参加者名簿は、800人くらいになった。そこから、いろいろなネットワークができて、またおもしろいことが起きていった。

まあ、仕事もそんな感じでやってきた。本づくりなどやったことがないのに、インドで出会った著名な作家とスリランカの坊さんとの対談を企画した。企画書を作って、出版社に送ったらすぐに採用。帝国ホテルのスイトールルームでガチンコの対談。それをぼくが本にするというわけだけど、結果は、このお二人が大論争になってあえなく失敗。本にはならなかったけど、そこから本作りの道が次々とひらけた▲医学書など、とうてい縁がないと思っていたのに、あるとき突然、友人から仕事を依頼された。50人くらいの医者の原稿をもとに教科書を作るという仕事。難しい医学用語、独特な言い回し、解剖図の作成やら、えらくたいへんな作業だった。途中で無理だからと投げ出そうかと思った。でも、友人が辛抱強く待ってくれた。それで、なんとか仕上げた。相方の力量にも恵まれた▲そんなことで、本は50冊以上ももつくってきた。たくさんの恥ずかしい失敗はあるけどね。

ということで、先案じをあんまりしないで、まずはやってみようか。ちょっとずつ改善していけば、なんとかなるかもしれない。ダメなら、仕方ない。どうせたいしたことはないのだから。ながくずっと続けようと思うとストレスだから、一回ずつ完了という気持ちでやってもいい。……とまあ、そんな感じでこれからもやって行くのではないかと思う。