過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

終戦の詔勅って、わかりにくいね

終戦記念日。というか、敗戦記念日天皇陛下の肉声がラジオから流れた日。終戦詔勅という。受信の程度の悪いラジオから、語尾のはっきりしない陛下の言葉で流れた▲しかし、終戦詔勅という予備知識がなく、いきなりこんな漢文ばかりの表現で、「日本は負けた。戦争が終わった」ということがわかるものだろうか▲ぼくには聞いただけではわからない。読んでもわからない。人によっては、陛下から、最後の一億総玉砕を伝える覚悟を伝えた言葉と聞いたかもしれない。

「負けた」という言葉は、詔勅にはひとつもない。あえて探してみると、ここの部分。「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」(私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう命じた)。しかし、これとて「共同宣言」が日本の無条件降伏を迫るものという知識がないと、なんにもわからない▲「戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス」(戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない)これは、戦いが不利だよとうことでしかない▲「朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル」(日本国政府に対し共同宣言を受諾するよう命じるに至った)も、「共同宣言」の内容が知られていないので、おなじくわからない。

空襲が続いてあたりはみんな焼け野原。物資もない、食料もない。玉砕ばかり。ということで、おそらく、国民にはもう日本は駄目だ、負け戦だという空気が流れていた。だから、その陰々滅々した響きから、戦争は負けたというお言葉なんだろうと、みんな受け止めたんだ思うけど、どうなんだろう。

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ 朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ