過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

お盆と先祖供養

〈葬儀や法事が死んだ人の供養になっているのかどうか。どのようなことをしたら、先祖の供養となるのだろうか。〉

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いまはお盆だ。お盆というと、先祖供養。お盆には、先祖が「あの世」から「この世」にもどってくる。そして、遺族と一緒に過ごして、また「あの世」に帰っていただく。長いこと日本ではそういう習慣があった。▲お盆は、古来からあった古神道の「御霊まつり」と仏教のならわしが合わさって、できたものなのか。その仏教も、もとはといえば古代インドの習慣から来ているか。それに中国の祖先崇拝の影響も加わっている。

先祖を供養するいっても、その先祖はなにか霊的なはたらきとして、どこかにおわすのか。子孫をどこかで見守っているのだろう。▲死んだら、いったいどこにいく?  あるいは、無になる?  あの世にいく?  転生する?……これは、まったく自ら体験してみないとわからない。▲亡くなった人は、やはりなにか見えない霊的なはたらきとして、どこかにおられるのかもしれない。私たちを見守っておられるような気がする。それが、一般的な日本人の感覚かな。

ところで、死んだ人が成仏してもらうために行うのが、葬儀や法事の意義だと思う。▲「成仏」とは、仏になることだが、この世の未練・執着を離れてあの世に行って安らいでもらう──というほどの意味あいで使われている。▲死後はけっして無に還るのではない。なにか個性のようなもの、あるいは霊的な働き。それのあることが前提で、葬儀や法事があるのだと思う。▲ただ、仏教でも来世を認めなかったり、霊の存在をまったく認めない宗派がある。しかし、お盆の法事はどの宗派も行っている。

では、葬儀や法事が死んだ人の供養になっているのかどうか。どのようなことをしたら、先祖の供養となるのか。▲日頃、法事をつとめているお坊さんでも、これはなかなか確信を持っていえないだろう。お釈迦さまは、宗祖はこのように説いています、教えではこうなっています、……ということは言えるけど。自分で死者のその後の存在をとらえる体験は、難しいからね。