過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

重篤の患者の見舞にいってきた

重篤の患者の見舞は、無理に共感しようとしなくてもいい。ほんとうの辛さは、本人しかわからないし。いつもの元気なときの普通の会話でいいんだと思った。〉

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一昨日は、病床の友人の見舞い行った。かなり重篤だ。▲2ヶ月前は、空咳が続いて、やがて下腹部にシコリがあると言っていた。医者にも診てもらうこともなく、そのままやり過ごしていた。そのシコリがみるみる大きくなって、先月、ついに入院。▲肉腫だった。開腹手術したが、肉腫を取りきれず三分の一は残したまま。これ以上なすすべもなく、回復の見込みはなさそう。痛み止めと栄養剤の点滴で過ごしている。

病室を訪ねると、彼はげっそりと痩せていた。10キロ減。テレビも観る気力もなく、考えごとするのも疲れるという。眠れないし、熱はあるし、痛みもある。ほんとうにつらそうだ。さいわい意識はしっかりしているので、会話はできた。▲こういう重篤の患者の見舞いというのは、ずっしりと重たい。励ましも同情も空回りになりそう。▲でも、無理に共感しようとしなくてもいい。ほんとうの辛さは、本人しかわからないし。いつもの元気なときの普通の会話でいいんだと思った。

それで、サッカーの試合のことやら、食べもの、14年ぶりに再会した娘さんのこと、担当の可愛い看護婦さんのこととかを話した。▲その普通のやり取りのなかで、死んだら葬儀はどうしてほしいか、遺骨はどうするかも聞いておいた。▲彼は、葬儀は要らない。やるなら密葬に。数人が集まって一緒に食事するくらい、で。坊さんも、お経もいらない。戒名も、お墓もいらない。遺骨は灰にして海や川や山にでも撒いてほしい、と。

しかしまあ、他人事ではないなぁ……。▲ぼくもいつ何とき、同じように苦しむかわからない。重い病になって、普通に健康であることが、実は一番の幸せなんだってことに気がつくんだろうな。こうして生かされている一日一日が、まことにありがたいことだ、と。