過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダはなにを伝えたのか(1)──まのあたりに体得される安らぎ

ブッダは、いったいなにを伝えたのか。

解脱? 涅槃? 無我? 現世利益?

うむ。なかなかよくわからない。なにしろ二千五百年も前のインドの方だし、お会いしたこともない。なにしろ経典の数でも八万法蔵あると言われている。仏教には、深い哲学な難解な理論、複雑な儀式など、ぎっしりとつまっていてわかりにくい。

あるとき、『スッタニパータ』という原始経典をひもといたら、こういう言葉があった。

「伝承によるのではない。まのあたりに体得される安らぎを、あなたに説くのである」

そうか。わたしなりに納得。

ブッダは、かんたんに一言でいえば「やすらぎ」を説いたんだ。

それは、言い伝えとか偉大な聖典やら人の見解によるものじゃあない。ブッダみずからが「まのあたりに体得」したもの。ありありと身体でつかんだものを説いたんだ。
ブッダは、「私はこのようにして安らぎを体得した。あなたも実践すれば、きっとまのあたりに体得できる」と伝えたのだろう。

いま伝わっているような難解な哲学や壮大な理論体系を説いたわけじゃなかったろう。仏典をよむと、教えを説いた相手は、学者もいれば無学な農民もいた。遊女も盗賊も年端もいかない子どももいたんだ。

ブッダは、この日常のなかで実践できる、まのあたりに体得できる「やすらぎの道」を説いたのだろう。そう思った。