過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダはなにを伝えたのか(2)──シャーンティという響き

ブッダの説いたのは「やすらぎ」であると書いた。この「やすらぎ」は、サンスクリット語(古代インドのことば)では、〈shanti〉(シャーンティ)という。

現代のインドでも、祈りのことばによく使われている。〈シャーンティ〉という響きは、穏やかでやさしい。〈シャーンティシャーンティシャーンティ〉と響かせてみると、穏やかな波動に包まれるのがわかると思う。

中国で経典が漢訳されると、〈シャーンティ〉は、「寂静」(じゃくじょう)と漢訳された。「涅槃寂静」などと使われる。「あらゆる苦しみから解放された状態。それは、燃えさかる炎の消えたような、静かな安らぎの境地」ということであろう。

「寂静」となると、原語の〈シャーンティ〉と比べて、いかにも固くて重たい。その響きには優しさ爽やかさには遠い。「寂」という字も、さみしさ、わびしさを連想させる。
古来の日本では、中国の文化が優れ、漢字そのものに力があるととらえられていた。だから、お経などは日本語に訳されず、そのままよまれた。

涅槃寂静」「諸行無常」「一切皆苦」「四諦」──仏教用語を並べてみると、いかにも学術的、哲学的だ。こうして仏教は、生活感覚とはますます離れた難解なものになっていったように思う。

「漢字の仏教」から、もともとの原語に立ち返ってみると、意味もわかりやすく、響きもやさしい言葉があって、あらたな発見も生まれるようだ。