浄土教の祖師たちの遺言を調べてみた。
法然は80歳で亡くなった。亡くなるときに、高弟のひとりが尋ねる。
「昔から先徳といわれる方には、みな遺跡がございます。上人は寺院をお立てになられませんでしたが、ご入滅の後は、 どこをご遺跡といたしましょうか」
法然はこう答えたと言う。
「私の80年の生涯は、念仏を 勧めることだけであった。とすれば、念仏の声のするところ、それがどこであろうと、全て私の遺跡である」
親鸞は「自分が死んだら、骨を鴨川に流して魚の餌にしてくれ」と遺言した。
けれども、その遺言に反して、覚信尼(親鸞と恵信尼の娘)が中心になって、親鸞の墓をつくる。それが、本願寺の始まりで、いまの大谷祖廟である。
一遍は、亡くなるにあたって、弟子達にこう言い遺した。
「葬礼の儀式などととのえるな。遺体は野に捨ててけだものにほどすように」
そして自らが書き残した文書などはすべて焼いてしまう。
一遍の最期のことばである。
「一代聖教みなつきて南無阿弥陀仏になりはてぬ」(お釈迦さまのおしえのすべては、みな尽きて、南無阿弥陀仏になってしまった)