過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

アイガモ農法をつづけるかどうか

来年の田んぼをどうするか、仲間とはなしていた。まず、アイガモ農法をつづけるかどうか。アイガモの除草効果は抜群で、完全無農薬の田んぼをやるとき、すばらしいチカラを発揮する。

しかし、だ。育てる過程でいろいろたいへん。生きものなので、ままならぬことが多い。朝晩のエサやり、エサ代、外敵からの保護のための電気柵と天井の網張りなど、作業もたいへん。寒さなどで死ぬ、外敵に襲われて死ぬ、脱走してどこかにいってしまう、最後は解体しなくちゃいけないなど、精神的なストレスも大きい。

では、アイガモ農法やめたらどうなるか。夏になれば、毎朝の草取りをやる。こちらもたいへん。しかし、初期除草(田植え後4日目から一ヶ月)をきちんとやれば、あとはラクかもしれない。また、冬期湛水をする、代かきをきちんとして土が露出しないようにする……など、改善していけば、そんなにたいへんじゃないかもしれない。

みんなで早朝、草取りするのも気持ちがいい。健康にもいい。アイガモ農法よりも、ラクだしストレスが少ないかもしれない。

しかしなあ、アイガモは可愛いからね。地域の人たち、子どもたち、〈まちなか〉の人たちも、楽しみに見にきてくれる。交流の場になる。楽舎の田んぼのピーアールになる。それに、たった一年でやめてしまうのは、はやすぎる。せめて三年つづけて、研究していくことがいいのでは……。

じゃあ、ぜんぶの田んぼをアイガモ農法にしないで、ひとつだけにする。今年は72羽を投入したけど、10羽くらいにする。アイガモ農法と人力による草刈り、両方をやってみる。それでどうだろうか、そんな話をしたのだった。

道案内は、自分自身の楽しさ、快適さ、自由さ、ラクラクさ

外を歩きたい、外を歩きたい。あかりは、二つの拳を盛んに叩いてアピールする。言葉は出ないが、ジェスチャーで示す。きょうもまた、ちかくのホタル公園に連れて行く。

ずっと歩いている。倒れるとすこしつらそうな顔をする。また立ち上がる。そしてまた倒れる。立ち上がる。歩く。その繰り返し。楽しくて仕方がないようだ。

子どもにとって、「これが正しい」というものはない。教わるものもない。教科書もお手本もない。自ら試してみて、失敗して、また試してみて、うまくいった。そしてまた挑戦していく。その繰り返し。

その過程の中で、ムダな動きをなくしていく。もっとも無理のない自由な動きを発見していく。身体の神経回路をむすんでいっている。道案内は、自分自身の楽しさ、快適さ、自由さ、ラクラクさだ。

主食のお米と大豆を自分の手でつくる

ご飯がおいしい。おとうちゃんが、一所懸命につくったお米だから。農薬なんてまったくつかってない。化学肥料もなし。山からの清流で育った。天日干しのおいしいお米。ことしも、つくった。今日も稲刈だったよ。

主食のお米と大豆を自分の手でつくる。これで、食生活はかなり安心。山里暮らしのおおきな魅力のひとつだ。ことしのお米の収穫予想は800キロ、大豆は200キロ。大豆からは味噌ができる、豆腐も豆乳も。麹も自分たちでつくりたい、そして味噌も仕込む。醤油も。

エダマメがおいしい

エダマメがおいしい。エダマメは、未成熟で青いうちの大豆だ。むかしは、ちがうものと思っていた。山里に越してきてわかった。

あと一か月くらいすると、皮が茶色くなって実が固くなる。それから収穫して、半月ほど天日干し。脱穀して大豆となる。

種まきは7月16日だった。梅雨明けの直前くらいに播くのがよいとされる。黒大豆、緑大豆、黄大豆の三種類を蒔いた。

播くときの注意は、鳩に食べられないようにテグスを張ること。シカに苗を食べられないように電気柵を張ること。あとは、ときどき草の取りと土寄せ。肥料も農薬も、なんにもつかわない。

去年は200キロとれた。連作だが、今年も200キロくらいだろう。大豆の栽培はむつかしいことはない。世話もほとんどいらない。ただ、収穫、脱穀、そして選別が手間だ。自分でつくったお米で麹を、杵で豆を潰して味噌をつくることができたら、最高だ。