過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

笏を用いてみた。これはいい。

「仏はこれ乾屎橛(かんしけつ)」
仏とは、「糞かきべら」だという禅語である。
仏とはたいそうなものではなく、取るに足りないもののである。
中国禅の『臨済録』や『無門関』などで言われる独特な用語である。
「仏に逢うては仏を殺せ、父母に逢うては父母を殺せ」(『臨済録』)などいう独特な言い方もある。執着を外すのが仏道であり、仏に執着するというありようこそが、手放され、変容されなければならないとされる。
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まあそのことはともあれ、「乾屎橛(かんしけつ)」ってなんだろう。くさかきべらって?
うんちをするときに、それでとるのか? あるいは、肥溜めの発酵のためにかき回すヘラがあるのか。いまだに定かではない。
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昨日、「これって乾屎橛(かんしけつ)じゃないですか」と友人が出してきた。
ん?
そうかもしれないけど、これって「笏」(しゃく)だなあと思った。
「笏」(しゃく)とは、よく聖徳太子像に出てくる細長い板だ。威儀を正すために持っている。「百人一首」でも、ほとんどの貴族が持っている大切なツール。
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で、その棒を持ってみた。
あ! 瞬間、実感した。
すごくいい。これを手に持つと、とても落ち着く。
ポイントは、丹田に向けて両手で持つ。
ムドラー(手印)もいいのだが、こうした笏を持つと、丹田を中心にしたエネルギーの集中とリラクゼーションに効果がある。
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今度、役所とのプレゼンなどのとき、これをもって丹田の落ち着きからやりとりできようにしよう。だって1対10くらいで、あれこれ審査されたり、質問されたりするんだよ。相手はまったくニコリともしないし、憮然とした顔して弱点を指摘してくる。さすがに居心地が悪い。重心は上に上がる。そこは丹田力。ということでこの笏はいい。