過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

この作戦にはインド兵が行動をともにしていた

YouTubeでNHKスペシャルの「インパール作戦」を見た。

ビルマから2000メートルの山を超えてインドのインパールに攻めようというもの。制空権もない上に補給・兵站の問題を極端に軽視した無謀な作戦であった。

豪雨と密林の中、食料もない。病気が蔓延する。戦わずして、餓死者・疫病死、濁流にながされた死者が続出した。ビルマ・インド方面の戦没者約18万5000人のうち、およそ8割の約14万5000人を戦病死者ともいわれる。

ところで、番組ではまったく触れられていなかったが、この作戦にはインド兵が行動をともにしていたのである。

なんとその数6000人。そのうちチンドウィン川まで到達できたのは2600人。その後、戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害を受けて壊滅している。

インド軍が行動をともにした背景はこういうことだ。チャンドラ・ボースは、「インド独立の絶好の機会」として、日本の戦いに呼応した。多くのインド兵が、「自由インド」「インド解放」をスローガンに、日本軍とともにインパール作戦に参加したのであった。

かつてぼくは、チャンドラ・ボースのことなど知らなかった。インドを旅して、インドではチャンドラ・ボースはとても有名であることがわかった。まちなかにチャンドラ・ボース通りなどと名づけられた道もあった。

ガンジーのことを語ると、インド人は、そんなに尊敬の気持ちは示さなかったが、チャンドラ・ボースのことを語ると、かれらは目を輝かせていたことを思い出す。ボースは英雄であった。

ちなみに、ガンジーの人気のなさのひとつは、独立にあたってあまりにもイスラム教徒に譲歩したことにあるようだ。事実、ガンジーを暗殺したのは、ヒンドゥー教徒であった。

インドを旅しているとき、インド人は日本に対して親密と尊敬の情を示してくれた。かれらと語った時、なんとなくわかった背景は三つ。

ひとつは、日本は大国のロシアを破ったといいうこと。おなじアジアの小さな島国が、かの大国をやぶったという驚きと尊敬。

二つ目は、日本がチャンドラ・ボースと呼応してイギリスからの独立を支援しようとしてくれたということ。

三つ目は、当時はソニーパナソニック、ホンダなど世界一の技術力と経済力の国というイメージ。