過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

それを縁として、テコにして行動していく

いままでやってきたことを話せばいいと言われて、引き受けた。はて、なにを話そうか……。

しみじみと深い話ができるわけない。あれもやった、これも手掛けた。幕の内弁当のように体験を繰りだそうか。でも、なにがいいたいの、なにをしたいの?ということになる。

今週の土曜日、講演を依頼された。アクティブシニアネットという団体だ。メンバーは60〜70代の男性が多い。この年代は、もうサラリーマンを退職して、わりと悠々自適。新しいことに飛び込んでいく機会も少ないかもしれない。

じゃあ、「なにが起きるか、わからない。マゼランの航海みたいな人生がおもしろい」。そんな生き方を語らせてもらおうかな。ひとつの荒波を乗り越えて、ゆっくりする暇もなく、また次の荒波がくる。どこに辿り着くのかも、わからない。そんな生き方のすすめ。

サラリーマンをやめて26年になる。いい会社にいればいい。収入も確保できて安定した人生になる。そんな「寄らば大樹の陰」で生きてきた。生意気で能力不足のために仕事で苦労はたくさんした。でも、基本、組織にいれば暮らしていける。我慢すれば、なんとかなるのだ。

なんとかなるには、なる。しかし、それじゃあ躍動する生き方ができなくなってしまう。これじゃあだめだ。人生、ちっともたのしくない。そこに気がついたのは、はじめてインドをひとり旅したのがきっかけだった。

なにしろインドだ。厄介なこと、たいへんなことが次々と降りかかる。こりゃだめだということが、たびたびあった。しかし、なんとかなっていった。厄介な現実を乗り越えていくってのが、すごくたのしくなった。自信と体験という財産が得られた。

そのうちサラリーマンはやめてしまった。フリーランスになったら、とっても自由。自由だけれども、不安定。先の保証がない。仕事を受けても、やったことのないものが多かった。先が見えない不安、焦りが日常となる。しかし、インド体験をいかして、なんとか生き延びてきた感がある。

なんとかなる。そこはいつも基軸にある。そうして、たいせつなことは、考えずに直感を、というところ。考えると動きが止まる。むしろアタマを空っぽにしたほうがいい。そうなったら、天の気とあそぶような感じでものごとはすすむ。そんな体験が少しずつ、増えてはきた。まだまだ頭でっかちで観念的だけどね。

これをしたい、あれをしたい」という思いはたくさんある。でも、「縁」がないとカタチにならない。その「縁」は、ときに厄介で面倒でくるしいことも多い。

厄介なこと、面倒なことがやってくる。それを縁として、テコにして行動していく。すると、いろいろと動きだす。縁にしたがって、動いていく。まあ、そんな話をさせてもらうつもり。