過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分でやってみてたしかめないと、たしかなことはわからない

自分でやってみてたしかめないと、たしかなことはわからない。なにごともそうだけど、田んぼについてもそうだ。

ことしアイガモ農法でやるときめたとき、各地で自然農法で指導されているMさんがぼくに言った。「アイガモでお米つくると、クソまずいお米になるよ」と断言したのだった。

その話を仲間にすると、ひとりが、たしかにかつてアイガモ農法のお米を食べたとき、まずかったという。もうひとりは、知り合いのアイガモの農家が、農協に出荷していて、まずいといわれて、もうやめたと聞いた。

そういう話が出たのだった。やる気を削ぐ話だった。いやあ、それはほんとうかなあ。聞いてみた。アイガモ農家の中道さんに聞くと、とんでもない、アイガモ農法を10年以上もやっていて、そんな話は聞いたことがない。現にこうして、販売できています、と。県のアイガモ協会のようなところに聞いてみても、とんでもない、アイガモ米はおいしいですよ、と。

まあ主観的なことだから、これはなんともいえない。自分でつくって食べてみればわかることだ。

それで、ことし初めての収穫をして、アイガモで作ったお米とそうでないお米を食べ比べてみたところ、まったくどちらもおいしい。まったく問題ない。仲間に聞いてみても、おいしいという。

ということで、ひとの主観はあてにならない。その道の権威みたいな人の言うことでね、アテにならないことがある。なにごとも自分でたしかめていくのがいちばん、だ。あらためて実感したのだった。