過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

たいせつなことは、じつは大きな企画じゃなくて

いろいろ企画、着想が浮かぶ。ぼくの場合、毎日、企画しているようなものだ。企画書を作るのは楽しい。採択されれば最高。それがとってもワクワクする。企画している時には、頭のなかで理想的な姿を思い浮かべている。その世界に遊ぶことができる。そこが、いちばんモチベーションが高い。

問題はその企画が採択された時。予算がついた時。さあ、いよいよ現実化していかなくちゃいけない。そこからがいちばんたいへん。頭のなかで描いたことと、現実はかなり違うからね。なかなかうまくいかない。なによりこの「自分」のモチベーションが、企画している時より下がってきている。時間が立てば、さらに下がる。

企画ってなにがたいへんかなあと思うと、それは「やったことがない」からだと思う。企画するものは、つねにあたらしい。ルーチンじゃない。非日常だ。そこに船出していくわけだから、大げさだけどマゼランとかコロンブスの航海みたいになる。予期しないことばかり。こんなはずじゃなかった、とか。

でも、とにかく実現しなくちゃいけない。逃げられない。ということで、足を踏み出さざるをえない。まあ、なんとか踏み出してしまえば、あとは現実とのやりとりだ。現実との格闘だ。うまくいくし、うまくいかないこともある。自分のあり方も、よくみえてくる。そんなものだ。

それでもなんとか、カタチにする。カタチになる。ああ、やってよかった。企画してよかった。踏み出してよかった、ということになる。あたらしいネットワークもひろがった、あらたなスキルも身についた。自信になった。実績になった。さらにおもしろい企画が浮かんでくる、ということになる。

まあしかし、企画するのも一つの落とし穴。じつは企画するのは、現実逃避ということもある。いまの現実がおもしろくない、しんどいから、そこから逃げようとして、いろいろな企画をするってこともある。非日常のほうがおもしろいからね。あたらしい旅をしたいという欲求がある。なので、たいせつなことは、じつは大きな企画じゃなくて、この日々の、普通の、あたりまえのの一日をワクワクして生きること、なんだろうと思う。