過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

子どもが生まれたお祝いに、と桃が届いた

子どもが生まれたお祝いに、と桃が届いた。奈良の五條市で桃や柿を栽培している友人の井元さんからだ。かれはぼくの大学時代の数少ない友人の一人だ▲早稲田に通ったものの、ぼくは友人が少ない。なにしろ授業に全く出なかったからね▲ひとつには、法律にほとんど興味がわかなかったこと。そして、学生運動が下火とはいえ、革マルの拠点校ということもあって、キャンパスでは常にデモが行われていた。やれマルクスレーニンだのという時代だったこと。

でも、しっかり勉強しようと、無謀にも厳しいことで有名な憲法の浦田賢治先生のゼミを取った。井元さんとは、その合宿で、たまたま同室だったというのが縁だ▲いま早稲田で憲法を教えている水島朝穂教授は、おなじゼミの一年上であった。水島さんは基礎知識、学ぶ視点の深さ、ディベート力など卓越していた。ぼくなど、ほとんどついていけず、即脱落してしまう

なにしろ、ツブシが効く、就職に有利だからみたいなことで、法学部を選んだのだ。だから、ちっともおもしろくない。わからない、つまらない。ますます授業に出ないだから、単位もろくに取れず、挙句は留年した▲ところで、この数年、自分で訴訟を3つも仕かけた。相手は弁護士数名、こちらは本人訴訟。しかし3連勝。すぐれた友人・菱村さんのサポートあればこそだった▲こうして、実践のなかで学んだときに、法律の面白さがはじめてわかってきた。いまの気持ちなら、しっかり勉強できると思うけどね。

さて、井元さんは、ほんのすこし語り合っただけ。以来、年賀状のやりとりのみ。ぼくは返事をあまり出さないので、フェイドアウトしてしまうところだった。けれども、奥さまがしっかりとつなげてくれていた▲5年前、山里暮らしをするようになって、農家資格のことやら、農業について教えてもらおうと、ふたたび交流がはじまったのだ▲吉野の金峯山寺の本作りなどの仕事で、奈良を訪れる機会もあり、そのたびに訪問した。40年ぶりに再会だった(写真はそのときのもの)。

あの学生時代、もっと友人を作っておけばよかったなあ、卒業しても大切にやりとりしていけばよかったなあ、と後悔する。が、こうしてひとり、ふたりと、末永く続く友人がいる。ともによろこび、ともに悩んでくれる友がいる。これは、大きな財産だよ。歳を重ねるほどに、若き日の友人の〈宝度〉が増してくるんだなぁ。