過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「神仏分離令」と「神社合祀」

「赤尾渋垂郡辺神社」(あかお・しぶたれ・こうりべじんじゃ)という。──なんて、不思議に長い名前なんだろう▲めずらしそうな神社や仏閣があると、訪ねることにしている。袋井市法多山というお寺を訪ねるときに、この看板が目に止まった。

訪ねてみてわかったのは、ここはもとは長楽寺というお寺だった。しかし、明治の神仏分離令でお寺は破壊された。そして、神社合祀によって、各地の鎮守の森の神さまがここに集められた▲赤尾神社と渋垂神社と郡辺神社が一体となった。だからこんな長い名前になったんだ。それだけじゃあない。さらに10以上もの神社も合祀された。若一王子神社・八幡神社・天伯神社・八面神社・天神社・注連神社・山名神社・天王宮など。

だから、御祭神は盛りだくさんになる▲息長足姫命誉田別命玉依姫命伊弉諾命、伊弉册命、菊理姫命、表筒男命 中筒男命底筒男命表津綿津見神中津綿津見神大己貴命底津綿津見神、素盞嗚尊、菅原道真、注連神社大神、猿田彦命、天忍穗耳命、誉田別命など。ふう、日本の神さまの名前は、ほとんど読めないよね▲さらには、袋井市内の明治、大正、昭和の英霊 1,365柱がまつられている。

神仏分離令」と「神社合祀」という明治政府の政策は、いまも哀しいことだと思っている。天皇という現人神(あらひとがみ)を中心にした国家をつくるため、人々の意識をまとめるためだったのだろう▲だが、カミもホトケも一体として信仰してきた、人々の心を破壊するものであったろう。そして、「おらが村」の神社は壊され、同時に鎮守の森も壊されてしまったのだった。