過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「丸山真男回顧談」おもしろかった

蝉しぐれ。こんなに暑いけど、エアコン無しで過ごしている。いま32.9度。

天皇制の探求から、丸山真男の著作を読み始めて、「丸山真男回顧談」(岩波書店)を一気に読んでしまった。

1946年頃、「三島庶民大学」というのがあって、そこで講座をもっていたのが面白い。報酬はお米。リュックで担いで帰ったという。

講師陣が、なにしろものすごい。東大の最高峰の学者たち。

川島武宜丸山眞男佐藤功大河内一男清水幾太郎中野好夫山本薩夫宮本百合子など。

そして、丸山真男の講座の一部が紹介されているが、またまたすごい。一部、引用する。
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ロマン主義を単純に反動思潮と断定してはならない。無限なるものへの魂の渇望の要求。

そこに含まれている人間個性の尊重、個性の生活全分野への発揚の主張は疑いもなくドイツに於ける個人意識のめざめであり、近代精神の最も貴重な産物である所の人間人格の尊厳への自覚がここに表現されている。

真の個人主義は英仏的な普遍的個人と、ロマン主義に於ける特殊的個性とが結合したところに成立するのである。
(中略)
初期のロマン主義者は、シュレーゲルにせよ、シェリングにせよ、皆フランス革命の勃発当初は、これをヨーロッパに於ける人間自由の戦ののろしとして熱烈に賛美したのである。

ただ、やがてフランス革命の進行がジャコバンの独裁とロベスピエールの恐怖政治を生み、「理性」を旗印とした革命が最も非理性的な粗野な人間衝動の解放による無秩序と暴力の混乱状態に陥るに従って、いたくその結果に失望し、やがてナポレオンの世界制覇となるに及んで、彼等のこれに対する反抗は、フランス革命そのものへの一般的反対へと転じて行った。

ということで、民族のありしよかりし日への憧憬。それへの陶酔によって現実の悲惨さを忘れようとしたというロマン主義の問題です。有機体的国家観がそこから生まれて、ロマン主義の論理がオポチュニズムになるということ。そのあとで、ロマン主義ヘーゲルとの関係を話した。

こんなのを、よく聴いてくれたと思います。ぼくの記憶では、途中で立ったりする人はいなかった。いっぱいなんです。

さっきの米屋さんなんかが聴いたのです。そして、これについて質問するわけです。ぼくは米屋さんに泊まっているから、米屋さんが二階へ上がって来て、「先ほど先生の言われたことで.......」と、その晩にやられるのです。
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丸山真男回顧談」(岩波書店)より