古代から日本は中国の文化を取り入れて、制度も学問もほとんど輸入した。宗教(儒教、仏教)も。
とくに文字だ。漢文という外国の言葉を、そのまま読み下せるようにしたのがすごい。日本の知識人は、白文をそのまま読めたし、書けた。
漢文の書き下しというのはすごい。レ点、一二点などを入れることで、白文=原文 をそのまま読めるわけだ。
これがもしも隣国がアメリカだとしたら、こういうことになっていたか。
This is a penという文章。「これはペンである」とは訳さない。語順を変えてそのまま読んでしまう。This (ハ)a pen is と。
で、平安文学は、こうした漢意(からごころ)を離れて、たおやかなひらがなをつかう女性たちが活躍する。源氏物語、枕草子など、平安文学が花開く。紀貫之など自由に漢文が書けたけれども、女性が書いたものとして、和文で「土佐日記」を書く。
しかし、政治や学問、仏教、儒教の世界では、あいかわらず漢文だった。
江戸時代、そういった漢意(からごころ)を廃して、和意(やまとごころ)を提唱したのが、国学である。代表は本居宣長。宣長は、ほとんど和文で書いている。
そうした、国学の流れから平田神道も起こり、尊皇攘夷思想にもつながり、明治維新となる。
明治維新の言語は、しかしほとんど漢文だ。五箇条の御誓文、王政復古の大号令、政府のお触れなど、漢文とカタカナとなる。教育勅語など、ほとんど漢文。そして、子どもたちの教科書もそうだ。
漢文は、簡潔にして伝えやすい。和文にすると、どうにもくどくど、婉曲になりやすい。そうして、漢文はいかにも「権威」がありそう。どうだ、申し付けるぞ。ハハーといいう感じになる。
ただ、人間の心の動きがあらわしにくいということで、文学などは、言文一致運動が起きる。その際、参考にされたのは、圓朝の落語の語りであった。圓朝の落語の語りを元にして、二葉亭四迷などがツルゲーネフを翻訳したりする。
そうして、漱石の文学など、やはり圓朝の落語を参考にしたと思われる。また、海舟座談の氷川清話、あるいは福沢諭吉の福翁自伝などの語りおろし、などとてもわかりやすい。伝わりやい。
現代の文章、まだまだ政府のものなど、とても読みにくい。とくに憲法、法律の条文。
わかりやすくて、簡潔にして伝わりやすい文章を作る。これ、いまとても求められていること。……などと、ながながと書いてしまった。