過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

断酒によって人生は変わる

酒が大好きでほとんど栄養も摂らずに、ガリガリに。ついには腰の骨が折れて動けなくなった。ぼくが見つけて、救急搬送を手配。

一か月後。入院暮らしで酒もタバコも絶ち、栄養もつけて、とても元気になった。コルセットで支え、歩行器をつかって歩けるようにもなった。

会ったときのエネルギーは、いままでの濃霧が晴れたような感じであった。驚いた。

それまでのかれは、会話のテンポも遅く、ぼわっとした反応であった。ただ脱俗の味わい深い人柄とあいまって、なかなか風情があった。森の中の清流のそばに暮らし、漢詩に出てくる神仙みたいな雰囲気であった。

まあ、変毒為薬、災い転じて福となすというか。酒を断つことによって、新生の暮らしができるかもしれない。山奥から引っ張り出して(かれの家で)、その造詣のある漢文学の講座を開いてもらおうと思っている。春からになるだろうけど。

山里のひとり暮らしともなれば、やることもなく、語り会う友もいない。ついには、朝から酒を飲みだしてしまう。そのうち衰弱したり、病気にもなる。ついには、動けなくなってしまう。

酒好きに節酒というのは、難しい。が、いちばんは「断つ」こと。一滴も口にしないこと。いや、ほんの一杯くらいなら、……そこから崩れていく。そのことは、ぼくは自分で何度も体験済み。


それにつけても、深酒は脳を萎縮させていくと思う。ぼく自身、お酒が好きで毎日、飲んではぼんやりしていた時代があった。
サラリーマン時代、毎日、会社の仲間と飲みに行く、帰宅してもまた飲みだす。ついには、休みの日など、朝、ちょっと一杯やるとほんわかしていい気持ち。そういう堕落の道に入りかけた時がある。

営業所から、本社勤務となって、事務的な仕事が増えた。しかし、酒の暮らしが背後にあるので、仕事も人間関係もうまくいかない。上司ともうまくいかない。

あるとき、新聞の記事から、仏教サークルの勉強会に参加することになった。阿含部経典から、密教の経典までまなぶ楽しさを知った。だが、酒を飲みながら経典を読むような接し方であった。

そのサークルは、きっちり戒律を守れ、ということであった。肉食はしない。酒は飲まない。毎日、写経することに徹していた。ぼくは写経はしなかったけど、菜食と酒を断つことにトライしてみた。

すると、一年。仕事はかなりはかどるようになった。上司にも恵まれた。ドイツとイギリスの現地法人を担当して、海外出張もさせてもらった。……まあ、人間関係は、あいかわらず下手くそで、我の強さと思い上がりで、敵をいつもつくっていたけど。

仕事がはかどるようになったきっかけは、「酒を断つ」ことにあったと思う。毎日、酒を呑むような暮らしをしていると、ぼんやりした濃霧のなかで船を漕ぎだすようなもの。気を抜くと、磐にぶつかる、浸水して沈没しそうになる。

酒を断つと、ちゃんと視界がはっきりしてくる。太陽が出てくる。きりっとしてくる。頭の回転もよくなる。酒を断てば人生が変わることは、まちがいない。

ところで、もっと頭が冴えて、暮らしが劇的に変わる、感動的になる実践法がある。それは「断食」だ。2週間の断食にトライしたことがあるが、心も体も軽い、軽い。頭の冴え渡ること。至福感があること。これに、祈りと瞑想が入ると、もっとすごいことになる。これはまた、また別の機会に書こうと思う。