過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

他人の失敗談というのはみんな聞きたがる

なにかを成し遂げるのに、自分はどれだけたいへんだったか、どれほど苦労したか、ということを軸に話をする人がいる。

たいへんなこと、つらいことを我慢して、努力して進んできた。そういう自分をほめてもらいたいという気持ちが背景にあるからだろうか。

こういうレベルで話していると、相手は、わかった・わかったよというウンザリ感を出してくることにもなる。

あるいは、相手が、いやオレのほうがもっと大変なことをしてきたよ。あんたの苦労は大したことない。いや、なにをいうか、こちらのほうがたいへん。いや、何を言うか……、みたいな綱引きゲームになってしまうこともある。

いっぽう、いやあ楽しいよ。楽しいのでらくらく進んだんだよということを軸に話をする人がいる。

こちらのほうが話は聞きやすい。楽しい。ぼく自身としては、どれほど大変だったかにフォーカスしないで、どれだけ楽しかったかにフォーカスして話をするようにしたいもだけれども。ただ、自慢話になってしまうと、これがウンザリさせてしまうことになる。

失敗談、だめだった話を自分を茶化して、楽しく話ができればそれは達人。

他人の失敗談というのは、不思議なもので、みんな聞きたがる。そしておもしろい。失敗を重ねて、重ねてそこから立ち上がれなくなった話だっておもしろい。

そうして、そこからなんとか立ち上がってきて、光が見えてきたという話は、響くものがある。