過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日野原重明先生が亡くなられた

日野原重明先生が亡くなられた。105歳というご長命であった。しかも、ただ長寿というのではなく、現役で医師をされていた。90を過ぎても、毎日臨床に携わっておられた。講演も執筆もされていた。

かつていちど講演をお聞きしたことがある。当時、先生は94歳。定刻から10分遅れの登場だった。じつは会場には早く到着していたのだが、締め切り間際の原稿があって、車の中で執筆していたという。

椅子に一度も腰掛けることなく、およそ1時間半にわたって話をされた。会場の真ん中に大きな柱があって、先生の顔がよく見えない。「わたしの顔が見えないのは申し訳ないので」と、お話しながら右に寄ったり左に寄ったりして、みんなに顔を見せながら講演された。

顔はつやつや、ぴかぴか。柔和ないい表情であった。印象に残ったのは、こんな話であった。

それは終戦後、物資が欠乏していた時代のこと。占領軍の将校の往診にでかけた。診察が終わると、紅茶が出された。角砂糖が2つ皿の上に乗っていてた。

当時は、砂糖はとても貴重なものだった。先生は、その角砂糖をそっと懐に入れて持ち帰った。

家族5人で、その角砂糖を分かちあっていただいた。それがとてもおいしくて、そのときの味は、まだおぼえている。

ものがないほどに、わかちあいの幸せがある。ものがありあまると、わかちあいの幸せがない。

子どもをダメにするのは、簡単だ。それは、ほしいものをどんどんと与えればいい。そしたら、子どもはすぐにダメになる。

………そんなお話をされた。あの柔和お顔で話をされるので、とても説得力があった。

人格の波動というのか、人間性の輝き、柔和な雰囲気は、じかに接することで、伝わるものがある。そして、心になにか点火されるものがある。