過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

祓う者がやがて祓われるものとなる

明日は節分。節分を調べていて、こんな絵に出会った。吉田神社追儺(ついな)式の絵だ。この追儺が日本の節分の起源とされる。もとは、大晦日における宮中の鬼払いの儀式である。「鬼やらい」とも呼ばれる。鬼とは、災厄を象徴している。

この絵にあるのは、鬼ではなくて、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を祓う者だ。その先に、鬼がいる。方相氏は、金色の目が4つある呪師(ずし)である。この方相氏を先頭にして、鬼を追い祓う。

方相氏は鬼を追い祓う中心的な役割を担っている。しかし、これが不思議なんだけど、平安時代の末期になると、この方相氏が追い祓われる側の鬼になってしまう。鬼を追い祓うほどのあまりに恐ろしい存在なので、こんどはこれを追い祓おうということなのか。

祓う者がやがて祓われるものとなる。忌むべきものを打ち負かす存在が、やがて自ら忌むべきものとなってしまう。そして、人々に追われてしまう。いろいろ象徴的だなあと、印象に残った。絵は、都年中行事画帖より。