過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「火垂るの墓」

いつも終戦記念日のあたりに放映される「火垂るの墓」。
野坂昭如自身の戦争体験を題材とした作品だが、ほとんどの人はアニメだけだと思うが。(野坂昭如原作、制作はスタジオジブリ、監督・脚本は高畑勲
アニメは何度も見て涙する。しかし、原作は読んだことがなかった。短編だが、読点でつないでいく野坂の独特の文体でけっして読みやすいとは言えない。でも、一気に読める。
原作もさすがだが、あそこまでのアニメの作品に仕上げたというのは、高畑監督、スタジオジブリってすごい。
以下、原作を引用する。
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そや節子に滋養つけさせんならん、たまらなく苛立ち、ふたたび抱き上げて壕へもどる。横になって人形を抱き、うとうと寝入る節子をながめ、指切って血イ飲ましたらどないや、いや指一本くらいのうてもかまへん、指の肉食べさしたろか、「節子、髪うるさいやろ」髪の毛だけは生命に満ちてのびしげり、起して三つ編みにあむと、かきわける指に肌がふれ、「兄ちゃん、おおきに」髪をまとめると、あらためて眼窩のくぼみが目立つ。

節子はなに思ったか、手近かの石ころ二つ拾い、「兄ちゃん、どうぞ」「なんや」「御飯や、お茶もほしい?」急に元気よく「それからおからたいたんもあげましょうね」ままごとのように、土くれ石をならべ、「どうぞ、お上り、食べへんのん?」八月二十二日昼、貯水池で泳いで壕へもどると、節子は死んでいた。

骨と皮にやせ衰え、その前二、三日は声も立てず、大きな蟻が顔にはいのぼっても払いおとすこともせず、ただ夜の、蛍の光を眼でおうらしく、「上いった下いったあっとまった」低くつぶやき、清太は一週間前、敗戦ときまった時、思わず「聯合艦隊どないしたんや」と怒鳴り、それをかたわらの老人、「そんなもんとうの昔に沈んでしもて一隻も残っとらんわい」自信たっぷりにいい切って、では、お父ちゃんの巡洋艦も沈んでしもたんか、歩きながら肌身はなさぬ父の、すっかりしわになった写真をながめ、「お父ちゃんも死んだ、お父ちゃんも死んだ」と母の死よりはるかに実感があり、いよいよ節子と二人、生きつづけていかんならん心の張りはまったく失せて、もうどうでもええような気持。
(中略)
夜になると嵐、清太は壕の暗闇にうずくまり、節子の亡骸膝にのせ、うとうとねむっても、すぐ眼覚めて、その髪の毛をなでつづけ、すでに冷え切った額に自分の頬おしつけ、涙は出ぬ。

ゴウと吠え、木の葉激しく揺りうごかし、荒れ狂う嵐の中に、ふと節子の泣き声がきこえるように思い、さらに軍艦マーチのわき起る錯覚におそわれた。
(中略)
夜更けに火が燃えつき、骨を拾うにもくらがりで見当つかず、そのまま穴のかたわらに横たわり、周囲はおびただしい蛍のむれ、だがもう清太は手にとることもせず、これやったら節子さびしないやろ、蛍がついてるもんなあ、上ったり下ったりついと横へ走ったり、もうじき蛍もおらんようになるけど、蛍と一緒に天国へいき未亡人の家の裏の露天の防空壕の中に、多分、清太の忘れたのを捨てたのだろう、水につかって母の長じゅばん腰ひもがまるまっていたから、拾い上げ、ひっかついで、そのまま壕にはもどらなかった。

昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた。
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火垂るの墓」(野坂昭如著 集英社)から引用

最近、引用したものを投稿することが多いが、手入力していない。そんな手間のかかることできない。
AdobeScanという無料アプリiPhone入れて撮影。それを、GoogleDriveに保存。さらに、GoogleDocumentで読み込むと、ほとんどテキストにできる。98%の精度だ。
近ごろはこの方式で、名作、論文などはテキストにしてデータ化している。まあ、ほとんど趣味だけど……。名作を読み返すことが多くなり、楽しい。