過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

やはり好きなことだから、がんばれたんだと思う

宿題は逆効果という記事を書いたが、宿題は楽しくない。与えられた義務のような学びは、つらいものだ。身につかない。おもしろくない。時間とエネルギーがもったいない。

いっぽう、自分で見つけたもの。これはおもしろいとつかんだもの。それだったら、たのしい。時間を忘れる。好きこそものの上手なれ。努力がいらない。自然とエネルギーが涌く。疲れない。どんどんと身につく。深くなっていく。

「嫌だなあ」ということは、どんものでも疲れる。努力がいる。辛抱がいる。頑張って耐えなくちゃいない。山登りが嫌いな人に、義務として30キロものリュックを背負って炎天下を歩けというのは、いくら尾瀬だって地獄かも。でも、登山が好きな人は、へっちゃらだし、尾瀬など楽しくてたまらない。

学生時代、読書感想文とか、自由に作文を書けなどという課題があったとき、嫌でたまらなかった。頭をいくら捻っても、文章など出てこない。やがて、ニフティというパソコン通信の時代に、仏教好きな人たちのフォーラムに投稿していくなかで、書くのが楽しくなってきた。

いまでは、文章を書くのは人生の大切な要素になっている。酒飲みがどんな疲れていても、毎日飲むように、疲れていても眠たくても文章は欠かさない。混沌とした頭の中身が、文章にすることで整理されて、より深まる。自分との深い対話にもなる。なのでエネルギーの充電になっている。

でもまてよ。趣味はそれでいいけど。問題は、「好きなことして食っていけるのか」ということ。「人生はそんな甘いもんじゃない。努力しなくちゃ切り開けないぞ」という声も聞こえてくる。

たしかにそうだ。甘いもんじゃない。努力は大切。でもまあ自分自身、振り返ると、十余年ものサラリーマン暮らしから脱サラして、いつしかフリーになった。それまでなんの実績も経験もないのに、ふした縁で編集や執筆、本作りの世界に飛び込んでしまった。「仏教が好き」「書くことが好き」というところから、仏教書や医学書の本作りまでかかわってきた。

ずいぶとん失敗したし迷惑もかけてきた。うわ!えらいことだということも、度々あった。でもまあ、ありがたいことになんとかなってきた。

やはり好きなことだから、がんばれたんだと思う。これからも……。好きなことだから、自然とネットワークが広がった。いろいろな友人、知人にサポートしてもらえた。好きなことだから、いつも考えている。つねに工夫しようする。そういうところから、少しずつ光が射してくるのかもしれない。

まあしかし、この先どうなるのかは、わからない。混沌としている。なにしろぼくは、気が多くて興味が移る。企画することが大好きなので、次々と手を広げて、やがて収集がつかなくなってくる。

ほんとうに自分が好きなもの見極めて、しぼりこんで深めていかなくちゃいけない。集中力の発揮できる仕事をしなくちゃいけない。レーザー光線のように……。そう思っている。あ、そうそういちばん大切なことは、「人が好き」「人がおもしろい」というところ。それがなければ、ぼくはなにをやってもうまくいかないと思う。