過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【どのように苦しいのか】2026.06.30

【どのように苦しいのか】2026.06.30

体調がかなり悪くなってきている。

食欲がない。食事は桃と豆腐それにヨーグルト程度。この数日は、そんな感じだ。

常に体が空気飢餓(空気が足りない状態)を感じる。

少し身体を動かすだけで、酸素飽和度が70%台になってしまう。心拍数は145くらいまで上がる。

すると、とても気分が悪くなる。強い「絶望感」が訪れる。

酸素吸入を1分間に10 L という最大にしているので、数分で何とか回復はするのだが。

咳がよく出る。咳き上げるたびに全身が震える。痛みが来る。また絶望感が訪れる。体力も気力も消耗する。

この絶望感、行き詰まり感がドーンと居座ると実に重たい。心身が鬱屈する。さらにこの湿気と暑さよ。

この2日ほどは元気が出ない。身体能力も大きく落ちたようだ。またフェーズが大きくダウンした。

「死んでいくのが怖くないか」と聞かれたけど、怖くはない。生きていてもいいし、死んでもいいと思っている。

もっと生きていたいとか、死ぬことが心配だとか、そういう気持ちはほとんどない。この世に執着もないし、あの世というものに対する期待もない。

ただ、死に至る過程で苦しいこと、息苦しさや絶望感が訪れることが、とてもつらい。

痛みや苦しみ、絶望感がなければ、どれほど平安だろうと思う。しかし、それもどうしようもない。

徹底して観察するしかない。

自分の身体を内側から客観的に観るということだ。 

「呼吸が苦しい」というとき、「どのように苦しいのか」「どのように絶望的なのか」を、できるだけ正確な言葉で表現しようとしている。

そうやって言葉にできると、痛みや苦しみとの付き合い方が変わるような気がする。

それらを敵対する存在としてではなく、自分の中で包み込めるような感覚になるのかもしれない。 

ここ数日は、身体に毒素が蓄積しているような、重だるい感覚がある。

寝たきりでほとんど動けないので、それは仕方がない。身体を動かさないことは、心身の安定にもあまり良くない。

これまでも、そしてこれからも、死に至るプロセスを徹底的に観察していこう。できるだけクールに、そして客観的に。