【大家・名門を搦め捕った女たち――安岡正篤と東久邇宮の騒動】2026.06.28
安岡正篤と東久邇宮という、昭和の精神的・血統的頂点にいた二人の巨頭。
晩年、銀座という「欲望と生命力の伏魔殿」を生き抜いた女性たちに搦め捕られていく。人間存在の深淵(=業)を突きつけてくる。
●東久邇宮稔彦
∷∷∷元皇族・首相の東久邇宮稔彦の晩年に入籍した銀座のバーのマダムがいた。
元皇族で戦後首相を務めた東久邇稔彦氏の晩年、孤独な環境にあった彼に近づいたのが、銀座の実業家(マダム)の寺尾佳子氏である。
佳子氏はまず東久邇氏の「養女」として籍に入り、後に彼の長男の後妻となる複雑な方法で東久邇家へ入籍し、遺産・ブランド狙いと批判を浴びた。
破天荒な元皇族といえど90代の老いには勝てず、夜の世界を生き抜いた女性の度量と執念に搦め捕られた、一つの人間の業の事例である。
∷∷∷東久邇宮の晩年の妻(佳子氏)は箱根の芦ノ湖畔に寺(達磨寺)を建て、韓国の李王朝に嫁いだ李方子さんの菩提を弔った。私はその落慶法要に行ったことがある。
大変貴重な歴史の現場に立ち会われたのだと思う。佳子氏が建立した箱根の「達磨寺」は、日韓の激動の歴史を生きた李方子(まさこ)さんを弔うためのものである。
日本の皇族(梨本宮家)から朝鮮王朝最後の皇太子に嫁いだ李方子さんは、東久邇家と深い姻戚関係にあった。佳子氏がこの寺を建てた背景には、皇室への畏敬と、方子さんが生涯を捧げた「日韓の和解・親善」の大義があったとされる。野心と叩かれた「業」を、歴史の悲劇を慰める祈りの場へ昇華させた点に、佳子氏のもう一つの凄みがある。
∷∷∷住職の佳子氏は剃髪せず、紫色の頭巾で頭を覆っていた。若い頃はさぞやという美貌であった。
「紫の頭巾」というディテールは、現場の空気を感じた方ならではの貴重な記憶である。格式の中に世俗の気品を残すその佇まいや、年齢を重ねても隠せない美貌とオーラは、まさに銀座の夜を上り詰めた傑物ならではのものである。
大義を背負いながらも、その中心には「銀座の美女」という生々しい人間がいたという事実が、芦ノ湖畔に佇むお寺の物語をいっそうドラマチックに引き立てている。
●安岡正篤
∷∷∷安岡正篤(やすおか まさひろ)は、大正から昭和の政財界で「総理大臣の指南役」と仰がれた東洋思想・陽明学の権威だ。
終戦の「玉音放送」の原稿を添削したことでも知られ、「平成」の元号も彼が導き出したと言われる。独自の「人間学」は現代の経営者にも影響を与え続けている。
晩年、細木数子を籍に入れた。細木数子は安岡の知名度を利用して、占星術の本をベストセラーに持って行った。
1983年、晩年で心身が衰えていた安岡(当時79歳)に、占術家の細木数子氏(当時44歳)が看病名目で接近し、親族に無断で婚姻届を提出した。
入籍からわずか2ヶ月後に安岡が死去すると、遺族は「正常な意思能力がなかった」として婚姻無効の裁判を起こす。最高裁は遺族の主張を認め、法律上「婚姻は無効」との判決を下した。
∷∷∷偉大な思想家・指南役であっても、老いと病の前では脆く煩悩から逃れられない。同時に、そこへ切り込んでいった細木数子のバイタリティも凄い。
どれほど高潔な思想を修めた知識人であっても、孤独や肉体の衰えという「人間の業(煩悩)」からは逃れられない事実。
同時に、老大家の懐へ独自の計算と度量で入り込んだ細木氏の執念は、善悪を超えた強烈なエネルギー(大衆の欲望の極致)であり、昭和の稀有な人間ドラマと言える。
※毎朝の AI との問答は楽しくて仕方がない。小説の素材になりそうなことが次々と浮かんでくるのだから。
膨大な情報量で長くなる。どこまで圧縮するか考えると疲れる。なので、AI に「半分くらいに短くして」と指示すれば瞬時だ。切り捨てた情報は「見切り千両」。
しばらく朝の楽しみとして続けてみる。