【美輪明宏さんの思い出】2026.06.28
美輪明宏さんが亡くなられた。
初めて美輪明宏さんのステージを見たのは、銀座七丁目にあったシャンソ喫茶「銀巴里」だった。
客席は4、50人ほどだっただろうか。ステージには戸川昌子さんや金子由香利さんなど、シャンソン歌手が次々と登場し、美輪さんもその一人だった。
派手な衣装ではなく、安っぽいパンタロンとサンダルを履いて、「私は今じゃ、こんなものですよ」とでも言うように、飄々と現れては歌っておられた。
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40過ぎてフリーランスのライターとして仕事を始めた頃、ある編集プロダクションから仕事をいただいた。
「石原慎太郎さんと美輪明宏さん、どちらを取材したい?」
と聞かれた。
どちらも魅力的だったが、「美輪さんでお願いします」と答えた。
そうして駒沢公園の近くにあった美輪さんのお宅を訪ねた。
玄関には紫色のロールスロイスが置かれていた記憶がある。
美輪さんはバロック調の豪華で品のいいソファーに座っておられた。
人生相談をテーマにした企画だった。女子高生の悩みや人生についてあらかじめ質問を用意して、美輪さんの話を引き出して執筆する仕事であった。
ご自身の法華経への信仰を核にしながら、一つひとつ丁寧に答えてくださった。取材は三日間に及んだ。
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美輪さんはほとんど微動だにせず椅子に座っておられた。
私はかなり緊張するだろうと思っていたが、不思議なことに、それほどの威圧感もなく、とても自然で楽な感じの取材であった。
日本文化の美しさや、竹久夢二や中原淳一の挿絵の素晴らしさなどを語られた。話をしているうちに、突然歌い始めることもあった。
美輪さんご自身が紅茶を入れ、ケーキを切って運んできてくださった。
家の中は、それはそれは清潔だった。トイレを借りたことがあるが、八畳ほどもある広い空間で、鏡張りだったことを覚えている。
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その後、「美輪明宏の法華経」という企画を最大手の出版社に持ち込んだ。
「泥の中から、泥に染まらず白蓮の花を咲かす」というのが法華経である。その趣旨から美輪さんの人生を語っていただくというものである。
出版社も大いに乗り気で、編集局長の即決で、「ぜひやりましょう」となった。
そこで赤坂の料理屋で、出版社と美輪プロダクションの社長、私の三者で打ち合わせをした。
私はあろうことか道に迷って遅刻して30分遅れであった。間抜けだ。
着いたところですでに企画は却下されていた。
その頃、美輪さんがその出版社の雑誌に掲載された記事に立腹されたのが原因であった。
「オカマを揶揄するような出版社からは本を出さない」ということで企画は立ち消えになってしまった。
美輪さんはこう言われた。
「売れていても売れていなくても、一生懸命やってくれた出版社を大事にしたい。あなた達も例えばパルコ出版を見習いなさい」
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美輪さんは法華経と日蓮上人の信仰を大切にしておられた。
二階には仏間があり、毎日、お経を読み南妙法蓮華経と唱えておられたと思う。仏前で祈り、お経を唱えておられる姿に触れてみたかった。その声の響きを体験してみたかった。
その信仰体験を一冊の本にしたかったが縁がなかった。
しかし、三日間という短い取材で触れた体験は宝物だ。惜しいのはその時の取材テープがどこかに行ってしまったこと。