【AIと国会論戦】2026.06.23
高市総理は国会答弁において、「秘書の陳述書をもって答弁としたい」という趣旨の発言をしていた。
これが許されれば、国会の論戦そのものが無意味になってしまう。説明責任の回避だろう。
国会答弁というのは、政治家本人が自らの言葉で説明し、その場で批判を受け、再び答えるプロセスだ。論理だけでなく、責任や人格も含まれる。
それが失われていく。
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これが許されれば、やがて答弁書や陳述書でやり取りすることになるかもしれない。そしてそれはAIが矛盾なく作成することだろう。
その答弁書を見て野党側は攻撃する。野党もまたAIを使って矛盾点をあぶり出し、質問を組み立てる。
すると今度は、総理のほうもAIを使って矛盾のない答弁書を作成する。
さらに野党もAIを使って質問を重ねていく。
そんな展開になるのかもしれない。
AIは人間よりもはるかに整合的な文章を作れる。野党側もAIで反論を組み立てる。
答えるのもAI、質問するのもAI。
判断するのもAIと。
論戦は人間同士のやり取りではなく、AI同士の最適化競争になっていく。
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AIに依存することで、人間が責任を引き受けなくなるのかもしれない。
やがてAIが、政治のあらゆる局面をコントロールする世界になるのだろうか。
AIが政治的議論を補助する段階から、やがて議論そのものを代行する段階へ進むのかも。
これは政治だけの話ではない。法曹、行政、学術の世界にも同じ波が押し寄せている。
法廷では訴状も準備書面もAIが作る。 行政では申請も審査もAIが補助する。 学術では論文も査読もAIが関与する。
人間は、自分の言葉で語り、自分の判断に責任を持ち続けられるのだろうかという問題が起きていく。
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朝の頭の体操として書いてみた。自分の体験も気づきも観察もない文章である。
漠然としたことを形にするという1つのパズルの遊びのようなものとして。パズルは解けたけれど、解いた後に残るものがないような。