過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【土地の境界と平穏】2026.5.9

 

【土地の境界と平穏】2026.5.9

ベッドの上から庭を眺めている。

数ヶ月前は枯れ葉の世界だった。

いまや新緑の光に包まれている。輝いている。踊っている。

微妙な緑色のグラデーションを鑑賞していた。

自然界は瞬間瞬間変化している。

今日という一日を見ても、絶えざる変化がある。この瞬間も変化している。

∷∷∷

そんな文章を作っていたら、近所の男がうちの私道にズカズカと勝手に歩いているのが見えた。

この人物は毎日のように勝手にうちの私道を歩いていた。そして挨拶もしない。「当たり前だ」という顔をしていた。

勝手に敷地を歩かれるというのは、自分の領域を侵されているという精神的な不快感が強い。しかもも向こうから挨拶もない。いつもムッとした顔してる。

ある時「ここはうちの私道なんだけど」と注意したことがある。

彼は「ここは通るなということか」というので「そうだ」と伝えた。

移住者は先住民より立場が弱いながら、権利関係はしっかりしておいたほうがいい。

意思は伝えたものの、関係はギクシャクしている。お互い挨拶もしない。

以前、光回線を引こうとしたときも、相手の許可が得られずスターリンクにしたのだった。以来、関係は冷えたままだ。

∷∷∷

その人物に勝手に敷地を歩かれるのは不快だ。注意しないとどんどん図に乗っていくので、やがて当たり前のように道を使い出す。歯止めをかけなくてはいけない。

そこで友人に頼んで、敷地内に立て看板を作ろうといま手配した。

「私道につき 無断通行禁止」

「ここは私道です。通行はご遠慮ください」

そんな文章がいいかな。

こうして思うのは、何か問題が起きると、スイッチが入って、問題を解決しようとする。情報を集めアクションを起こし、そのことで元気になる。そういうアルゴリズムがあるようだ。

何も問題がないと、元気のスイッチが入らなくなるかもしれない。

何か問題や不測のことがあると、動く、処理しようとする。

そして、また次の刺激が来ると喜ぶ。処理する——ということを繰り返していく。これからも繰り返していくかもしれない。

何もない、平和な状態というのは、人は耐えられないのかもしれない。

新緑の景色を眺めて俳句と短歌を作っていたのだが、ズカズカと歩いてくる男の姿を見て、脳細胞の方のアクションは活動しだしたのだった