過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【解像度を極限まで引き上げるための砥石】2026.5.7

【解像度を極限まで引き上げるための砥石】2026.5.7

AI との共創。AIとの伴走。

どうしようもない 文章 つぶやきを、 AI に投げかける。

何とかものになるかなと AI でやり取りをして 磨き上げていく。

その過程はなかなか面白い。

そんなAI (ChatGPT、Claude、Grok)とのやり取りをピックアップしてみた。具体的に文章を示さないと分かりにくいけれども、なるほどと 一つ開けた。

「自分の解像度を極限まで引き上げるための砥石」としてAIを使いこなすということ。

∷∷∷なんとか文章にする方向性はありますかね 。いまのままでは体験が足りないかな。

あります。むしろ、この文章の核はかなりはっきりしています。

ここからは「説明を増やす」より、「場面を思い出す」ほうが強くなる段階ですね。

説明は、「分かったこと」を書く。

でも場面は、「生きたこと」を書く。

ただ、あなた自身が感じているように、まだ少し「解釈」寄りなんですね。

だから、「なるほど」では終わるけれど、読者の身体感覚にまでは届き切っていない。

これは「体験が足りない」というより、「どの場面を掘るか」の問題に近いです。

方向性としては、 「その瞬間」を具体的に描くほうが強くなります。「説明を増やす」より、「場面を思い出す」ほうが強くなる段階ですね。

説明は、「分かったこと」を書く。

でも場面は、「生きたこと」を書く。

多くの人は「もっと特別な経験が必要だ」と思ってしまう。けれど実際には、どの瞬間に目を凝らすかで文章の深さが変わる。

つまり問題は「材料不足」ではなく、「焦点」なんですね。

AIは論理的につながりを整えたり、言葉を磨いたりするのは得意だけど、「どの場面を本当に見たいか」という原始的な欲求・衝動までは出せない。それは人間の側にしか持てない熱量だ。

だからこそ、粗いつぶやきや断片を投げて、AIと一緒に「この瞬間に光を当てたい」という感覚を研ぎ澄ましていくプロセス自体が、すでに創作になっている。

理論ではなく、「実況中継」として、解像度を上げていく。

∷∷∷

今朝の「ラジオ深夜便」のインタビューで、脚本家の大石静さんが 語っていたこと。

作家を目指す時に教えてもらった先生の教え。

起承転結はいらない。

「あなたがどういう場面を見たいか」をつなげていけばいい。

起承転結は、予定調和になってくる。

読者がこうなればこうなると見切ってしまう。