過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【分からないまま死んでいく】2026.4.30

【分からないまま死んでいく】2026.4.30

瞬間瞬間、生老病死を繰り返している。細胞が生まれて、維持して、老いて、壊れていく。

また新しく細胞が生まれて、維持して、老いて壊れていく。これがずっと繰り返されていく。しばし休むことはない。

この生命全体を貫いている〈自分〉というものが、やはり老いて病を得て死んで、大宇宙に大自然界に帰っていく。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(方丈記)

生命は生まれて、成長して、年を取って、病を得て、そして死んでいく。そこに尽きる。もう宇宙の摂理である。

自分が死ぬことは、自分の肉体が他の生命のエネルギーになっていく、役に立っていくということか。 

また縁があれば生じてくる、かもしれない。

宇宙的な次元から見れば、この宇宙というものが生成してからずっと、生命は生まれて死んでいく、それを繰り返していく。そういう大きな流れがある。自分というものもその大きな流れの中にある。

これが真実の姿。これは俯瞰的に、宇宙的な目から見たもの。

もう一つは、自分という意識から見たらどうなるかというと。

自分が宇宙をとらえている。全てを見ている。自分があってこそ宇宙がある。その自分という場が壊れてなくなっていく。宇宙を映す鏡が割れる。

無にかえるだけ。

もとより無我だから。

絶対の世界があるから。

転生があるから。

エネルギーや波動としてありつづけるから。

こうして、どこかで安心しようとする。

けれども本当のところ、

分からない。

ずっと分からない。

わからないままで生を終える。