過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【自己採点と、身体への回帰】2026.4.26

【自己採点と、身体への回帰】2026.4.26

​自分の中に、採点してしまう装置がある。人間には、「もっと 向上しよう」というものがある 。そこで自己採点がはたらく。

きょうは気力が湧かない。何かをしようという前向きなエネルギーが湧いてこない。

身体がついていかないんだから、それはそれで仕方のないこと。

ただ、「自分はダメだな」と、どうしても自己採点が低くなる。自分に対して ダメ出しするんだから、そこが辛いな。

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「よし、やろう」と思うことのできる状態は、点数が高い。

実現できるかどうかは置いといて、前向きに頑張っていると、自己採点は高い。それが喜びの尺度、幸福感の基準になっているようだ。

​「できなかった」となれば点数は低くなるし、やり遂げれば高い。まあそんなことで喜んだり 落ち込んだりする。

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やれた/やれない以前に、「よし、やろう」という気が起きないだけで、点数はかなり低くなってしまう。

「ああ、低いな、ダメだな」と思うことで、さらに「低い、低い、低い」というマイナスの循環に入っていく。

​「それはそれでいいんだ。そんなものなのだ」「そのままでいいじゃないか」と受け入れるというのか、開き直るのも、一つの哲学。

だけど問題なのは、身体のエネルギーが低下すると、精神もそれに引っ張られてしまうので、どんどん重たくなっていく。そこに嫌な感じ、暗さが入る。

それを、どうしたらいいか。

​一つの行として、文章に昇華していくこともあるし、祈りや、お題目や念仏もいい。

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今は、徹底して自分の「身体の動き」に意識を向けていくことかなあ。そして自分の考えていることは、追わないようにする。

身体のわずかな反応や兆しに​ひたすら意識を向け、そこを外れないようにする。

そこは、やってみないと分からないし、ちゃんとできるかどうか、予測できない。いつも分からない 。そして 期待は外される。

また「身体に戻れているかどうか」をまた自己採点してしまうことになる。逃れようとしても構造は続く。

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そんなことで、「一人操体法」であそんでいる。

心地よい方向へ身体を動かし、数秒静止した後に一気に力を抜く。

脱力のときに、不安と心地よさと安心が訪れる。コントロールを手放し、重力に身を委ねる瞬間。そのとき、身体感覚に着地する。