過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【過去を燃料に】2026.4.14

【過去を燃料に】2026.4.14

●過去の思いの中に入っていく。

ああすれば良かった、こうすればよかったという反省と後悔が、よく起こる。

過去には戻れない、生きているのは今。だから「それは妄想だ」といって簡単に切り捨てない。そういう思いは湧いてくるのだから。

流れにまかせて、過去の思いの中に入っていく。やりたかったけれどできなかったこと、あの時やっておけばこうなったんだろうな。そういう世界に浸る、それも悪くない。

それをスマホにつぶやいて、音声入力で言葉化していく、文章にしていく。

●車中泊を楽しめばよかった

一昨日、友人が北海道の苫小牧から軽自動車で車中泊しながら訪ねてくれた。ノマドでいいな。しかも84歳。すごいことだ。

私ももっと車中泊を楽しめばよかった。家族で旅をすればよかった。

都会暮らしの時はそれに憧れて、いつも車中泊できる車にしていた。

みんな中古だが、ビッグホーン、ホンダアコード、ハイエース、さらにはヴォクシー、どれも車中泊できた。

でも、なかなかできなかった。いや、しなかったんだ。忙しかった。裁判 3つもやったし、NPO 法人 立ち上げて 企画 ばかりやってたし、6000平米の田んぼ やってたし。デイサービスも経営してたし。子どもも小さかった。

気持ちの余裕がなかった。でも自営業だし、やろうと思ったらできたんだ。どうしてだろ。

都会から田舎暮らしに移行してから、わざわざ出かける気がしなくなった。かといって田舎暮らしに満足していたわけでもないが。

いや、それなら逆に都会に行けば楽しかったかも。友人を訪ねていくのも楽しかったろうな。

そうこうしているうちに、病気になって動けなくなった。

●かくして現実に立ち返る

こうして思いの世界に入ると、後悔が燃料になっていく。その後悔を観察する。嘆きじゃなくて、不満じゃなくて、怒りでもなくて、ただ観察している。

こうしてつぶやいていくうちに、やはり今の寝たきりの暮らし、現実に立ち返ることになる。

「すべてに時がある」ということかな。なにごとも「その時」でなければできない。

「今という時」に価値がある。できるのは今しかない。それは永遠の真理だろう。

84歳の友人が今まさに時を得て動いているんだ。

●死にゆく体の観察と気づきを発信していく

じゃあ、私はこの「今という時」、何をしたらいい。

迷うことは ほとんどないな。

というのは何もできないからだ。

 ベッドの上にいて動くことはできない。できることは、 文章を書くこと。だからその一点に絞らざるをえない。それが時を得た生き方。

寝たきりの病人の、気づき・体験・観察と日々の記録。これを発信していく。これが今の自分の、大切な仕事。

こうして毎日書いているのは 、自分のワークになっている。 書く素材は無限にある。自分の体験そのものだから。音声入力による文章作りの力を発揮するところである。