過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【体験こそが 伝わる】2026.4.13

【体験こそが 伝わる】2026.4.13

ラジオを聴いていると、音楽の解説などがある。ショパンについてとか、ロマン主義についてとか、オーストリアのザルツブルクの音楽シーンとか。

そういう解説を聞くと、「もうAIにやらせたほうがいいのではないか」と思うようになった。

その解説には自分の体験が、ほとんど入っていないのだ。どこかで調べたことを原稿に書いて、それを読んでいるだけの解説が多い。

こういうものはAIにまとめさせて、AIが音声で喋った方が、より深くよりコンパクトにまとまると思った。

AI時代になって、単に知識をまとめるだけのアナウンサー、解説者、評論家はもう意味がなくなる。

自分の体験、自分の感覚、自分の思いこそが大切だ。それは人間にしかできないことだし、そこが伝わるのだと思う。

それがなくて、単に事典的なことをまとめて話しても意味がない。そういう時代になったと思う。

体験は伝わる。知識や概念や評論はほとんど伝わらない。

昔、日野原重明さんの100歳を超えた講演会に行ったことがある。印象に残っていることが三つある。

まず、時間になっても現れなかった。車の中で原稿を書いていたということだった。

それから1時間半、立ったまま話をした。しかも会場の真ん中に大きな柱があったので、みんなから姿が見えるように右に行ったり左に行ったりしながら話をしていた。

話の内容で心に残ったのは、次のことだ。聖路加病院の院長だった頃、戦時中に進駐軍の将校の往診病院に行った。

お礼にと紅茶と角砂糖がでた。砂糖は3つあった。

当時は砂糖はとっても貴重である。

日野原先生は1つを紅茶に入れて美味しくいただき、残りの2つは紙に包んで大切に持ち帰った。

その日、家族と2つの角砂糖を分かち合っていただいた。

これまでのどんな食べ物よりも、この乏しきを分かち合った時のものが美味しかった——そう話されていた。

先生はその後、イエスの言葉など色々と話されたが、ほとんど覚えていない。

ただ、この「乏しきを分かち合った」という体験の話だけは、30年も経った今でも鮮やかに残っている。

自分のリアルな体験を伝えることが、とても大事だ。事典的なGoogle検索的なことを語ってもほとんど伝わらない。

そこはAIに取って代わられる。

私は、自分の体験を必ず乗せて文章を書くようにしている。