【死にゆく呼吸】2026.4.13
今の自分の呼吸を見ている。絶え間なく、はあはあ、と。揺らいでいる。
「母が亡くなる時こんな呼吸だったな」と思い出した。
母は亡くなる前は、ほとんど話もできなくて、ただ息をするだけだった。
大きな息を吸って大きな息を吐くのではなくて、はあはあ、と。小さな弱々しい呼吸をしていた。
入居していた施設から連絡があった。「そろそろお母さんが危ないです」と言われて出かけたのが朝の5時半だった。
枕元で母の思い出を語りながら、「ありがとう」と声をかけていた。母は、はあはあ、と静かに息をしていた。
そして、ふとガクンと首が横に倒れ落ちた。臨終だった。6時前かな 。ちょうど 朝日が登ってきて部屋が 明るくなった。
今、心拍数は大体100から120だ。冷蔵庫からおかずを取ろうとして、2、3歩あるいて持ってくるだけで血中酸素濃度は80を切って呼吸が苦しくなる。心拍数は100から120、時に130。
こうなると心臓は相当頑張らなくちゃいけない。
生命が受精してからずっと、73年もの間、しばしも休まず、すごい力で心臓は動いている。
この心臓が止まれば死ぬということ。「縁起でもない」と言うかもしれないが、死にゆくもののの呼吸の観察として見ているわけだ。
死んでしまうと、もうこの肉体は朽ち果てていく。その瞬間から腐敗していく。冷たくなっていく。微生物が繁殖して分解していく。もう次のステージに行くわけだ。大地に帰る。
生きていた時の自分は、どこに行くのかな。
生きているということは、一つは動くということ。一つは熱量があるということ。一つは心があるということ。考えるということ。意識があるということ。識別能力があるということ。
死ぬとは、そういったものが全部なくなってしまう。識別能力の大もと、根源が絶たれてしまう。終わるのだ。
どんなふうにわが身に死がやってくるのかという、観察のステージがある。
もうこれは仏教の概念や宗教の教義ではなくて、観察の世界。観察を究めていくということしかない。