②【寝たきり文章術】2026.4.12
本作りのために連載しています。音声入力とスマホだけで書いています。感想ください。
●万能の宝箱
寝たきりになって、スマホとの出会いが大きかった。これがあるから、暇を持て余すということがない。ラジオを通して色々な文化に触れることができる。
そして、音声入力で自分で文章にしたり、発信することもできるわけだ。私にとって「万能の宝箱」となっている。
「寝たきり、音声入力」のポイントはスマホ(Pixel)だ。音声入力をする。AIとやり取りをする。データベースアプリのObsidianに保管する。Facebookに発信する。暮らしの中でスマホが大変重要なツールになっている。
●眠れないならラジオを聴いてみよう
スマホはラジオの機能も持っている。寝たきりだと、どうしても夜眠れなくなる。眠れないと夜が長い。辛い。睡眠導入剤を飲むと依存症になるのは嫌だ。しかし眠れないのはやはり困る。
さあ、どうしたらいいかと悩んでいると、妻から「ラジオがいいんじゃない」と言われた。「あ、そうだ。ラジオを聴いてみよう」。そこで思い出したのが、「ラジオ深夜便」であった。
「ラジオ深夜便」は夜中ずっとやっている。11時から明け方の5時まで、1日も休むことがない。民放とは違ってコマーシャルがないので、静かで落ち着いた語りが魅力である。こうして深夜に聴いていると、「心地よいひとり」になれる。
リアルタイムで聴くのもいいし、「聴き逃しサイト」であとで聴くのもいい。1週間以内であれば、主要な番組の再生がいつでも可能だ。
こうしてラジオ深夜便を深夜に聴いていると、いつしか眠っている。また、たとえ眠れなくても問題がなくなってきた。かくして15年間服用していた睡眠導入剤から離脱することもできたのだった。自分にとっては思わぬ成果だ。
●ラジオは印象に残る
東京に暮らしていた15年前は、ラジオ深夜便をいつも録音して仕事の合間に聴いていたものだった。あるいは車を運転するときに再生しながら聴いていた。
不思議なもので、15年も20年も前のことでありながら、ラジオのインタビューや文化講演会などその内容をまだ覚えている。
もちろん内容にインパクトがあって深いということもあるが、テレビよりもラジオの方が、映像がないだけにより想像力が働いて、印象に残るようだ。能動的に受け取るからだろうか。
まだ家にテレビのないころ、家族でラジオを聴いていた。徳川夢声の朗読する「宮本武蔵」や、漱石の「坊ちゃん」、松本清張の「西郷札」などまだよく覚えている。65年も前のことなのに。
●その道の第一人者が喋ってくれる
特に惹かれたのは「明日への言葉」のコーナーだ。その道の第一人者がゲストで語ってくれるのがいい。
例えばこんな人たちだ。
分野は実に幅広い。
直木賞作家。陶芸家。アーティスト。YMOをプロデュースした、ユーミンのプロデューサーを務めた人。シジュウカラのさえずりの文法を発見した学者。北極の単独探検家。2000人の在宅緩和ケアを手がける医師。ドラマ「SHOGUN 将軍」の時代考証を担当したベルギー人。マンガ『北斗の拳』の原作者。将棋の名人。五木寛之の語り。
その他、川柳、邦楽、文芸評論、時代劇ドラマ、山本周五郎・小泉八雲などの朗読。
第一人者の話はその人の体験からの語りだから、とても伝わる。蘊蓄や解説じゃなくて、その人の歩んできた人生そのものだから、大変響くものがある。
●録音して文字起こしもする
時には文字起こしアプリを使って録音することがある。聴いていて「あ、これはいい内容だ。残しておかなくちゃ」というものがたくさんある。そういう時には、文字起こしアプリを立ち上げて録音する。
40分ほどの話が終わったところでテキストに変換される。大体1分ぐらいで変換完了。あとでじっくり読むことができる。さらには検索して、プロフィールなども調べていく。こうなると、とても深掘りされて立体的になる。
文字起こしアプリは、改行もなくぎっしりと変換されるうえ、同音異義語の誤りもある。そこでAIに校正と適切な改行を依頼すると、1分ほどでテキストを整えてくれる。すると、とても読みやすくなるのだ。
それをObsidianに保管する。フォルダー別に分けることもできるし、「ラジオ」というタグをつけておくと瞬時に検索されるので、大層便利だ。
●知の冒険であり知的生活のOS
こうして、自分だけの知識の引き出しを作る楽しさが味わえる。自分だけのアーカイブに変換し、さらに調べ物をして立体的に理解していく。
このプロセスは一種の「知の冒険」みたいだ。
受信(ラジオ)→生産(音声入力)→編集(AI)→保存(Obsidian)→発信(Facebook)
こうなると、スマホは「知的生活のOS」みたいだ。
「寝たきり」という行動の自由度が極端に制限された状況だからこそ、この「宝箱」の価値が最大化される。
ベッドの上にいながら、世界の扉はいくつも開いているのだ。