【目標が溶ける】2026.4.4
縁側の5メートルの廊下を使って、歩くこと、往復することをやってみた。
目的と結果というところから見てみる。
立ち上がるぞ。よし、立ち上がった。縁側まで数歩だが歩く。あ、歩けた。さあ、向こうまでたどり着くぞ。あ、たどり着けた。さあ、戻るぞ。よし、もう1回やるぞ——みたいに、目標を持って歩んでいく。1つ1つに目標と達成がある。
目標があり、それを達成するという気持ちで動く。
しかし丁寧に歩いているうちに、たどり着くとか、1往復するとか、結果に囚われなくなってくる。
ただ右足を上げる、左足を上げる。それだけ。右足を上げる、運ぶ、下ろす。初めは、1つ1つの行為に目標があって結果があるのだが、それもやがてなくなる。
意識が細分化されていくにつれて、目標そのものが溶けていく。
ただ上げる、運ぶ、下ろす。上げる、運ぶ、下ろす。それだけ。
何事も目標があって結果があるという風に生きている。それが人生のありよう。
ただ——目標は目標としてあるけれども、それはそれとして、その行為の瞬間瞬間はそこで全うしている、そこでコンプリートしている。その瞬間にいる。そこを見ている。
右足を上げる。それだけで1つの宇宙が現れて完結している。
これは何をやってもそう。食事をするぞ、お椀を取るぞ、汁を飲むぞ。
行為の目標はあるけれども、スープを飲む、飲むだけ。お椀を掴んで持ち上げる、持ち上げるだけ。下ろすだけ。そんなところを観察してみている。