過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【説明が主導権を握った時】2026.4.4

【説明が主導権を握った時】2026.4.4

説明しようとするとき、相手に知らず「圧」を与えている。そして自分の中では相手がそこにいても、関心は自分のほうに向いているのかもしれない。

相手の言葉が聞こえていない時もある。いや相手の言葉というか、その時の周りの音——時計の音、風の音、足音、鳥や虫の鳴き声——そういうのが耳に入らない。自分の考えや言いたいことが表に出てしまっている。

そういう自分がいる。

ある友人の話を聞いていて、あ、この人は今ここの音が耳に入っていないだろうな、と思った。

かなり「圧」がくるな。こちらはその説明を義務的に聞かなくちゃいけない感じ。呼吸が苦しくなる感じ。実感も伴わない。早く終わってほしい感じ。

自分も相手に語る時は、「圧」を与えているかどうか気がつかなくちゃいけない。

説明というのは、相手へのサービスなんだろうけど、じつは自分の世界に対して自分が語ってるのかもしれない。そのとき相手は不在だ。

出会って、納得して、共に分かち合えて楽しめる世界がある。説明が入るとそうじゃなくなってくるのかな。説明が主導権を握った時、何かが壊れるのかもしれない。

だから説明をしないようにしよう、というのが趣旨ではない。今ここで相手と一緒にいるとはどういうことかという探究だ。