「若き日の創価体験 ― 組織活動の行き詰まり」 2026年2月8日
創価の信仰の核は、お題目を唱えることである。その教義は、鎌倉時代の日蓮こそが「本仏」である。釈迦ではなく、日蓮が究極の存在であるとされた。
すべての諸仏菩薩の根源は「南無妙法蓮華経」であり、日蓮という人格に体現されている。「南無妙法蓮華経」は日蓮という究極 の本仏の名号である。
その日蓮の魂魄は富士大石寺の板曼荼羅として存在している。その大御本尊に向かって南妙法蓮華経と唱えて祈ることで、日蓮という本仏と一体になることができる。
これすなわち即身成仏であり、一生成仏である。あらゆる宿命を転換して幸せになることができる。
富士大石寺の板曼荼羅という一大秘宝の曼荼羅があるために、日蓮正宗は絶対的に正しく、それを外護している創価学会も絶対的に正しいとされた。端折って言えば、それが主な教義である。
この荒唐無稽とも思える教義は、日蓮正宗の伝統的な教えに基づくものである。
なお現在、創価学会は富士大石寺から破門されたため、この理屈は表立っては述べられてはいない。
が、ここでは煩瑣になるので論じない。
ともあれ、そのような奇想天外な論理を創価学会は主張し、会員はそれを真実と思い込んで信仰に励み、布教してきた。人は教義で信ずるのではなく、勧誘する人の人間性、そして実践してみての信仰体験、実証で掴んだ事実があったからこそ会員が増えた。
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現実に会員の信仰を支えていたのは、池田大作というカリスマ指導者の存在であった。
池田氏は、拝む対象(本尊)ではないものの、まさに神格のごとく、本仏のごとく威光を放っている存在としてあった。
池田氏は、会員にとっての唯一の師匠である。会員は皆弟子である。「師弟不二」こそが信仰実践の要諦であると、繰り返し指導された。
カリスマとして君臨するだけではない。巨大組織のリーダーとして、最前線で実際に会員に対してきめ細かな指導をしていた。個別の会員に寄り添い、手を差し伸べて悩みを聞き、指導することがよくあった。私自身、池田大作氏の著書に直筆のサインをいただいたこともあった。
先輩たちからは「池田先生と呼吸を合わせること」「池田先生の琴線に触れる戦いをすること」という指導を頻繁に受けた。
そのような環境の中では、「御本尊」と「日蓮」と「池田大作」という存在が、同心円のごとく、私の中では一体となっていた。
日蓮思想は究極の真理である、日蓮の再誕こそが池田氏である。池田氏は不生出の指導者であり、その哲学思想は最高のものである。そして人生の師匠である。
そのような思いを抱いていた。
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やがて大学に合格し、学生部として活動を始めると、こうした信仰の魅力と思い入れと裏腹に、弱点も抱えていた。
何より痛いのは、その「優越意識」にあった。
「創価学会は最高であり、自分たちこそ正義であり、この教えこそ真実である」という思い込みが強かったことだ。
それは「自讃毀他」(じさんきた)と「独善排他」のエネルギーに通じる。
「この信仰こそが最高であり、宇宙の真理である。だから他の思想や哲学、宗教を学ぶ必要はない」という思い込み。他の思想や哲学、宗教は「低い教え」であるとみなす身の程知らず。他を謙虚に学ぼうとする姿勢がない。
最初から教条主義で色メガネで見て他を軽視する。すでに「自分は答えを持っている」と思い込む。
そのことは、自分で物事を考えるということをしなくなるのだ。
怖いのは、本人たちはそのことに全く気がつかないことだ。何しろ自分たちは「絶対的に正しい」のだから。
そして、他の宗教や思想に接することは「謗法」となり信心を汚すことになる、不幸になるという恐怖があった。他の宗教に接すると「命が濁り、頭が七つに割れる」というような恐怖の観念が植え付けられており、これが始末に負えなかった。
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また残念なことに、仏教そのものの教義を探求しようとしても、それに十分に答えてくれる先輩は見当たらなかった。
学ぼうとすると「そういったものを学ぶと信仰の道から外れる。池田先生との呼吸が合わなくなる」といった指導をされた。
教えを探求しようとしても、探求する道が閉ざされていたわけだ。用意された解答集はあっても、疑問を疑問として深め、解き明かしていく道筋がなかった。
こうして、「創価学会だけが素晴らしい。創価学会を離れたら人生はない」という刷り込みために、外の世界に対する感度は鈍り、窓は閉ざされていた。
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さらには人間関係にも問題があった。
この信仰を人に伝えること。創価学会の組織に入会させ、御本尊を持たせ、信仰の道を歩ませることが、相手に対する最高の価値ある行為であるという思い込み。それこそが自分の幸福の根源である、というような指導をされていた。
だから、友人を作っても、それは折伏(勧誘)の対象、組織への勧誘対象として見てしまっていた。
親しい友人に対して、折伏セミナーに参加させて入会させようという下心があった。そうなると人間関係もどうしても作為的になりがちだった。
そこでは対等で自由な友人関係は築きにくかった。まるで営業マンと潜在顧客との関係のようであった。それでは、せっかくの学生時代に自由でリラックスした友人関係を作れるわけがない。もったいないことをしたと思う。
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憧れの大学に入学したものの、そこは大して希望通りの世界ではなかった。
大学の授業はつまらなく、また「つぶしが効くから」と好きでもない法学部を選んでしまったために、授業そのものには全く関心が持てなかった。
創価の学生部の連中はほとんど勉強せず、学問的な探求心も乏しかった。まあ、当時の大学生は皆、遊び感覚で大学生活を送っている者が多かった。加えて学生運動の残滓があり、授業が休講になることもしばしばだった。
そんな流れの中で、私は創価学会の活動の渦に巻き込まれていった。
けれども会合では決意発表や学会歌の指揮など、エネルギーを沸き立たせるようなものが多く、私はそういう集いは苦手で気が重かった。
部員指導、部員の結集、折伏(勧誘)活動などが、ノルマとして課せられていた。
昼間は大学での活動。夕方から夜は地域のブロック活動に時間とエネルギーを費やした。
また、選挙活動となると、事実上の選挙対策事務所や選挙事務所に泊まり込みで奉仕活動をしたりした。それはそれで新鮮な体験であり、社会勉強にもなったが。
ただ、学生の本分である学問探求とは程遠い世界であった。せっかく大学に入ったのに、学問を深く究めるところから離れてしまったのは、もったいないことであった。