過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

2026.2.5

[ヤマギシの研鑽という実践法]2026.2.5


ヤマギシの特講体験の中で印象的だったのは、「研鑽」という考え方である。
ヤマギシでいう研鑽は、一般的な「研鑽」とは異なる。
常にお互いの意見を述べ合い、どんなときでも改善を目指して話し合う──つまり「語り合い」という意味での「研鑽」なのだ。
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それが日常の中で実際に体験できた。たとえば、部屋の掃除をするときにも実践されていた。
例えば5人で部屋を掃除する場合、まずは5人で話し合って担当を決める。
Aさんは窓拭き、Bさんは片付け、Cさんは床の雑巾がけといった具合だ。これが「事前の研鑽」である。
そして実際に掃除を始め、10分ほど経ったところでまた集まり、「このやり方でよいか」「もっと良い方法はないか」と意見を出し合う。
そこで改善点を話し合い、例えば「Cさんはこちらを担当し、Aさんはこれをやる方がいいのでは」と修正して、また実践に移る。
掃除が終わった後でも、もう一度集まって「実際どうだったか」を振り返り、研鑽し合うのだ。
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掃除でも皿洗いでも、全てにわたって研鑽に始まり研鑽に終わるのであった。
それは「反省会」でも「ダメ出し」でもなく、行為の途中で立ち止まり、方向を微調整するための対話としてあった。
「過程そのものが目的化された学習」 の実践にみえた。
「計画→実行→中間評価→修正→実行→振り返り」という、プロジェクトマネジメントのサイクルに繋がると思った。
こうして掃除を単なる「作業」として終わらせず、人間関係や思考の柔軟性を訓練する「場」になるわけだ。
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当時、私は会社員であった。会社の仕事では、事業計画があり、例えば1兆円の売上目標が立てられる。
そして各事業部に予算が下り、ノルマが決まる。それがさらに各部署、各営業所へと割り振られ、最終的には営業マン一人ひとりにノルマが課せられるのである。
その予算や目標について「こうすべきでは」と論じることはほぼできない。「もう決まったことだからやるしかない」という世界だ。これは本社でも同じであった。
誰もが「これは無理だ」「おかしい」と思っていても、決まったことだから仕方なく、渋々やらざるを得ない。
実際に期限が来て、計画が破綻して初めて、「やはりこうすればよかった」「最初からこうあるべきだった」といった議論が出てくる。しかし、途中で修正が入ることはほとんどなかった。
「決まったからやる」という会社の意思決定プロセスに比べて、ヤマギシの「研鑽」は「常に改善可能な生きているプロセス」にみえた。
会社のやり方は「一度決まったら変えられない固まった計画」で、それはいつも息苦しい重圧感があった。
失敗を「学習の機会」ではなく「責任の所在を探る場」にしてしまう文化にみえた。
そんな仕事の環境にいた私にとって、ヤマギシの「研鑽」の仕組みは非常に新鮮に感じられた。
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特講の先に1ヶ月の研鑽学校というものが用意されており、さらに探求してみようと先払いして申し込んできた。
ところが雑用が重なりついには参加できなかった。
今思うと大変に悔やまれる。時には後先を考えず勢いで参加しておくべきことはたくさんあるなと思っている。