過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【イラク航空機内に有り金を置き忘れた】2026.2.1

イラク航空機内に有り金を置き忘れた】2026.2.1

わたしの旅は、いわば「無知と勇気と運と諦めと工夫」の連続。危ないことが次々と起こる。
そしてなんとか、乗り越えて来たのだった。

会社を辞めて次の会社に移るまでの一ヶ月の猶予を利用して、インド旅に出た。30年余も前のことである。

航空運賃は安いところを選び、イラク航空にした。当時、イラク航空、パキスタン航空、エジプト航空は「飛ぶ棺桶」の御三家と呼ばれていた。

イラク航空は搭乗の際、入り口で厳しいボディチェックがあり、客室乗務員は非常に威張っていた。座席はなんと全席フリー。搭乗員は大声で喋っていてうるさく、食事もおいしくなかった。まあ、安いかろう悪かろうだ。
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まずバンコクに数日滞在し、そこから安いチケットを手配してカルカッタに行く予定だった。

バンコクに着く直前、機内で財布を取り出してお金の計算をしていた。ところが、何を慌てたのか、財布ごと機内に忘れてしまった。40ドルくらい入っていた。ほぼ有り金だった。

チェックアウトしてからそのことに気づいた。イラク航空とやり取りしても話が通じない。しぶしぶ無理だと諦めた。飛行機はバグダットに飛んど行った。

しかし、一ヶ月のインド旅行の資金がない。せっかくの貴重な休暇が、お金がなくては楽しめない。

ああ、どうしよう──。

断腸の思いだった。で、一つの方法を思いついた。日本人旅行者にお金を借りること。それしかない。
日本人旅行者がよく訪れる格安チケット売り場の辺りをうろつき、何人かの日本人に声をかけた。

しかし、見ず知らずの男に金を貸してくれる人など一人もいない。当然だ。疲れ果てたが、ここで諦めてはいけないと、また声をかけ続けた。
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次に声をかけた男に言われた。「貸してくれる人なんているわけないでしょう。日本に電話して送金してもらえばいいじゃないですか」と。

インターネットもクレジットカードもなかった時代である。
──ああ、そうか。そういう方法があった。

幸い友人の電話番号が手元にあった。東京銀行に勤める友人に国際電話し、送金を依頼した。当時は電話をかけるのも大変で、中央郵便局(GPO)を探してバイク便(バイクの後部座席に乗って移動)で行った。

GPOに着くや、電話交換手を呼び出し、やっと電話がつながる。ほっとした。友人は送金してくれると約束してくれた。

問題は、「どこに送金してもらうか」だった。
東京銀行バンコク支店か、これから行くインドのカルカッタ支店か。悩んだ。

バンコク支店は安全だろう。しかし、手続きのために数日バンコクに滞在しなければならない。目的はインド旅行だ。バンコクで貴重な日数を費やすのはもったいない。

ではカルカッタ支店にしようか。しかしインドの銀行は大丈夫か、かなり心配だ。カルカッタに着いても、送金がうまく行かなかったら、まったくの無一文になってしまう。

なにしろインドだ。お金が宙に浮いたら、まったく資金のない旅になる。それは困る、怖すぎる。

さあ、どうしよう。
悩み、迷った。

しかし「これは賭けだ」と運を天に任せ、カルカッタ支店への送金を頼むことにした。

そして、バンコクを後にし、カルカッタまで飛行機に乗った。
カルカッタに着いたのは夕方。初めてのカルカッタは、すでに暗く、大勢のインド人が待ち構えていた。目ばかりが光っているようで、不気味で恐ろしかった。

タクシーでまずサダル・ストリートまで行き、救世軍(サルベーション・アーミー)の宿に泊まった(一泊50円くらい)。翌日、東京銀行カルカッタ支店に行った。

パスポートを見せると、すんなりお金を渡してくれた。
ああ、やっと安心。これで一ヶ月の旅ができる。
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友人に無事お金が届いたことを連絡しなければ。当時、外国に電話するのは大変で、GPOを探して電話交換手に頼んでつないでもらった。幸いにつながり、電話でお礼を告げた。

やれやれ。ついでに記念写真を撮っておこう。
GPOを撮影。カシャン。
──シャッターを押したその瞬間。
突然、二人の警官に両腕を掴まれた。

「撮影は違法だから、フィルムをよこせ」と言う。
「何を言うのだ、ふざけるな」と言い返しても、相手は短機関銃UZIH&K MP7)を持った警官だ。

ここはインドだ。賄賂を渡せば許してくれるかも。しかし、警官は動じない。泣く泣く36枚撮りのフィルムを差し出した。

当時のインドでは、港湾設備、鉄道、公共の建物を撮影するのは違法で、厳しく取り締まられていた。パキスタンや中国との国境紛争などもあり、取締は厳しかったのだ。

フィルムも残り少なくなり、やむなくスケッチをしながらの旅となった。
筆ペンとザラ紙でスケッチする旅となった。カメラと違い、描いているとその記憶は今でも鮮やかに蘇る。

あの時の風景、人の表情、描いているときの自分の心象風景が身体記憶として刻まれたのだった。